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2017年12月3日 悲しみは消え去る

◆詩編 82編1〜8節
82:01 【賛歌。アサフの詩。】神は神聖な会議の中に立ち 神々の間で裁きを行われる。
82:02 「いつまであなたたちは不正に裁き 神に逆らう者の味方をするのか。82:03 弱者や孤児のために裁きを行い 苦しむ人、乏しい人の正しさを認めよ。
82:04 弱い人、貧しい人を救い 神に逆らう者の手から助け出せ。」
82:05 彼らは知ろうとせず、理解せず 闇の中を行き来する。地の基はことごとく揺らぐ。
82:06 わたしは言った「あなたたちは神々なのか 皆、いと高き方の子らなのか」と。
82:07 しかし、あなたたちも人間として死ぬ。君侯のように、いっせいに没落する。
82:08 神よ、立ち上がり、地を裁いてください。あなたはすべての民を嗣業とされるでしょう。

◆イザヤ書51章4〜11節
51:04 わたしの民よ、心してわたしに聞け。わたしの国よ、わたしに耳を向けよ。教えはわたしのもとから出る。わたしは瞬く間にわたしの裁きをすべての人の光として輝かす。
51:05 わたしの正義は近く、わたしの救いは現れ わたしの腕は諸国の民を裁く。島々はわたしに望みをおき わたしの腕を待ち望む。
51:06 天に向かって目を上げ 下に広がる地を見渡せ。天が煙のように消え、地が衣のように朽ち 地に住む者もまた、ぶよのように死に果てても わたしの救いはとこしえに続き わたしの恵みの業が絶えることはない。
51:07 わたしに聞け 正しさを知り、わたしの教えを心におく民よ。人に嘲られることを恐れるな。ののしられてもおののくな。
51:08 彼らはしみに食われる衣 虫に食い尽くされる羊毛にすぎない。わたしの恵みの業はとこしえに続き わたしの救いは代々に永らえる。
51:09 奮い立て、奮い立て 力をまとえ、主の御腕よ。奮い立て、代々とこしえに 遠い昔の日々のように。ラハブを切り裂き、竜を貫いたのはあなたではなかったか。
51:10 海を、大いなる淵の水を、干上がらせ 深い海の底に道を開いて 贖われた人々を通らせたのは あなたではなかったか。
51:11 主に贖われた人々は帰って来て 喜びの歌をうたいながらシオンに入る。頭にとこしえの喜びをいただき 喜びと楽しみを得 嘆きと悲しみは消え去る。

◆マルコによる福音書13章24〜37節
13:24 「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、
13:25 星は空から落ち、天体は揺り動かされる。
13:26 そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
13:27 そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
13:28 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。
13:29 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。
13:30 はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。
13:31 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
13:32 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。
13:33 気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。
13:34 それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。
13:35 だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。
13:36 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。
13:37 あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」

アドベントに入りました。イエス様がこの世に来てくださるのを待つ時です。イエス様を待つことができるというのは、希望です。漠然と何がやって来るのか、どのような方を待つのかわからないというのではなく、すべての人を救う方をわたしたちは待っているのです。ですから、今、自分がどんなに大変でも「必ず、夜明けはやって来る。暗い夜の後には暖かい太陽の日差しのようなイエス様が来て、『わたしがあなたと一緒にいるからもう大丈夫』と言ってくださる」と信じることができるのです。アドベントはそのようにわたしたち一人ひとりの「信じて待つ気持ち」を強くしてくれます。

キリスト教にはキリスト教の暦(カレンダー)があって、わたしが肩にかけています「ストール」の色もその暦によって変わってきます。お気付きの方もいると思いますが、先週までは緑色でしたが、今日からはアドベントの色の紫です。クランツのローソクも紫ですね。礼拝で使われる色にはそれぞれシンボリックな意味が込められていて、紫には「待望」待ち望む、そんな意味があります。皆さんもよろしければ、来週から紫色の服や紫色のスカーフでもネクタイでもワンポイント、つけて来られるのもいいですね。教会につながって教会の暦の中で生活をしていますと毎年、わたしたちは待降節を経験します。ですから、毎年いきなりクリスマスの日がやって来るのでもなく、町のお店がクリスマスの飾り付けをしたからクリスマスになるのでもなく、アドベントという4週間ほどの待ち望む期間を通して、礼拝を守りつつこの期間を過ごします。そしてイエス様が来られた日を迎えて、その喜びを信じて待ってきた仲間と共にお祝いする。一緒に信じて待つ仲間を与えられているからこそ、わたしたちは辛い時があっても忍耐することができます。その経験を重ねることによって、わたしたち一人一人の「信じて待つ」力が強くされていくんだなぁと実感しています。毎年、当たり前のようにアドベントが来て、クリスマスがやってくるというのではないんですね。神様が信じて待つ時間を与えてくださっているからこそ、わたしたちは一緒にこのように原町田教会に集うことができています。

聖書に登場するイスラエルの人たちは、まさにずっと長い間、忍耐しながら信じて待ってきた人たちです。ただ、いつも信じて待ってきたかと言いますと、そうでもなくて、いろいろと揺れ動きながら、時には神様に背を向けることもありました。しかし、神様は彼らを決して見捨てることなく、預言者などを遣わして信じて待つようにと伝え続けられます。イザヤ書の時代、イスラエルの人たちの国は侵略され、破壊されて、異郷の地であるバビロンに捕囚として連れてこられました。「もう、自分たちの故郷に帰ることなんてできない」。「神様はわたしたちの祈りを聞いてくれない」「神様はわたしたちを救ってくれない」。そのように言いながら、彼らの多くはバビロンの地に住み着いていました。彼らの目は、地上のことに注がれていて、神様が進めておられる救いには目覚めていなかったようです。だから、イザヤを通して神様はイスラエルの民、そして現代のわたしたちに言われます。51章6節「天に向かって目を上げ、下に広がる地を見渡せ」。心を神様に向けるのです。そうすればこれまでとは違った世界が見えてくるのです。あなたたちの目が地上のことだけを見ていたら、この世の中はどんどん悪くなっていて、自分の心も暗くなるし、平和も遠くなっているように思えてしまう。しかし、天に向かって目をあげる、つまり神様がこの地を造られ、今もその創造の業を進めておられると目覚めるならば、6節〜8節のように信じて救いを待つことができるのです。6節「地に住む者もまた、ぶよのように死に果てても、わたしの救いはとこしえに続き、わたしの恵みの業が絶えることはない。」どれだけ大変なことがあっても、神様の救いはまだ終わっていません。続いているのです。人に嘲(あざけ)られても、人にののしられても、しばらくは辛くて苦しいかもしれない。でも、それが永遠に続くわけではない。神様の恵みと救いだけが永遠に続いているのだから、あなたたちは必ず救われる。いや、「『わたしの救いは代々に永らえる』と言われる神様が今も生きておられ、一緒にいて信じて待つ仲間をくださったから大丈夫」と目覚めるなら、わたしたちはすでに恵みの業の中にいると気づきます。教会のわたしたち一人ひとりが「わたしは神に赦され、愛されているんだ」と自分自身を受け入れて、そして弱さや欠けのある自分を受け入れたように、この世で辛く、苦しむ人を「どうぞ、お待ちしていました」と心から受け入れることによってその人も救いの中に招かれるのです。わたしも教会の人にありのままの宮島牧人として受け入れられ「救われたなぁ」と実感する経験を何度もしています。牧師として、幼稚園の園長としていろいろと責任がありますが、でも同時にわたしは弱さを持った一人の人間です。そんなわたしのためにこれまで何度も祈ってもらいました。「宮島牧師のために祈ります。どうぞ、支えてください」と祈ってくれる教会の仲間によって、間違ったり失敗するわたしだけれども、神の子として受け入れられているなぁと思い、救われています。

天に向かって目を上げて、心を神様に向けましょう。わたしたちが生きるこの世は一見、大変なように見えますが、実はすでにわたしたちは救いの中にある。それが見えてくるということ。それが天に目覚めるということだと信じます。

預言者イザヤは、気づいていない、目覚めていないイスラエルの人たちを目覚めさせるためにエジプトから自分たちの先祖を救い出した神様は今も生きておられる方だと力強く伝えます。10節「海を、大いなる淵の水を、干上がらせ、深い海の底に道を開いて、贖われた人々を通らせたのは、あなたではなかったか」。「あなたではなかったか」と繰り返し、あの恵みの業を成し遂げられた神様に「あなた」とまるですぐそこにいるかのように呼びかけることで、とこしえに続く救いは今も継続中だと伝えるのです。地上のことに心奪われている彼らを目覚めさせようとするのです。神様は永遠ですから、神様は今も生きて、苦しむ時のわたしたちを救おうとしています。目を覚まして神様の働きを見るならば、11節のような素晴らしい世界は、もうすでに始まっていることとして見えてきます。51章11節「主に贖われた人々は帰って来て、喜びの歌をうたいながらシオンに入る。頭にとこしえの喜びをいただき、喜びと楽しみを得、嘆きと悲しみは消え去る」。天である神様に目を向けるならば、その目にはすでに囚われのイスラエルの人たちが解き放たれ故郷に仲間と一緒に肩を組んで、ニコニコしながら帰ってきているのが見えるはずだと伝えるのです。実は、すでにわたしたちは「喜びと楽しみを得」ていて、「嘆きと悲しみ」は消え去っていたんだと気づく。

わたしはキリスト者になってから毎日のように祈り続けていることがあります。それは、この地上に神様の御心である平和が実現することです。武器のない、基地のない、暴力のない平和が実現しますようにと祈り続けています。でも時々、わたし一人がこんなことを祈っていても何も変わらない。だから祈らなくてもいいんじゃないかという悪の囁きを聞きます。これこそ、悪との戦いなのですが、皆さんもそのような声を聞いたことがあるんじゃないでしょうか。今日この後、聖餐式を行いますが、そこでわたしたちは「生活綱領」を読みます。その中に「世界平和の達成を期すること」とあります。「期すること」という言葉の意味を皆さん、ご存知ですか?実はわたしあまり深く考えずに読んでいましたが、この度、調べましたら、「期すること」それは「あることを実現しようと心に誓うことや決意すること」とありました。世界平和が実現しますようにと祈り、働きますとの決意なんです。恵みをいただき、恵みの業によって救われたわたしたちは、永遠であり今も生きて平和を実現するためにわたしたちを用いてくださる主なる神様に目を向けます。

先日、長崎に行き、カトリック浦上教会で行われた宗教改革500年を記念した合同礼拝に出席してきました。その礼拝の中でとっても励まされ、また目覚めさせられる言葉をいただきました。それは、「ローマ教皇とルーテル世界連盟議長による共同声明」の中の一文です。「わたしたちは特に貧しい人々のために、人間の尊厳と権利とを高め、正義のために働き、あらゆる形の暴力を斥けることにおいて共に奉仕に当たることができるよう、霊の導きと勇気と力とを神に祈ります。尊厳、正義、平和、和解を切に求めているすべての人々にわたしたちが近づくようにと、神は呼び掛けておられます。暴力や過激主義を終わらせるために声を挙げ、知らない人々を受け入れ、戦いや迫害のゆえに逃れることを強いられた人々に助けの手を差し伸べ、難民や亡命を求める人々の権利を守るよう、共に働くことを強く求めます」。

「あらゆる暴力がなくなりますように、あなたの平和がこの地になりますように」との祈りは、わたし一人の祈りではなく、世界にいるカトリック信者とルター派、それに加えて多くのプロテスタント教会のキリスト者が祈っていることなんだと気づいたのです。ちなみにカトリック信者は世界に12億人とルター派は7000万人、その他のプロテスタント教会信者は5億人ぐらい。20億人を超えるキリスト者が神様の御心である平和を祈っているのです。一人で祈っていても何も変わらないと思ってしまうわたしにとっての目覚めでした。ただ、それよりも大切な目覚めがあります。それはわたしたちキリスト者が祈っている以上に主なるキリストご自身が今も「嘆きと悲しみは消え去る」ようにと平和を祈り、願っておられることです。
わたしたちの平和への思いや言葉は強くなったり、弱くなったりして、時になくなってしまうこともあります。でも、救い主であるイエス・キリストが話された言葉は決して無くなりません。マルコ13章31節「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」。

今がどれだけ苦しくても、必ず救いの時が来ます。イエス様は救い主としてすべての人のところに来られたのですから、必ず救いがやってくるとわたしたちは信じて待つことができます。キリスト教のメッセージは、「十字架と復活」。主イエス・キリストは十字架の死で終わらず復活されました。十字架の後には必ず復活が来る。主イエス・キリストは十字架で死んで、しかし、3日後に復活されて今も生きておられます。今は苦しくても、その後には必ず喜びがやって来る。それがキリスト教のメッセージです。イエス様が今日伝えることも同じです。大変なことがあるけれど、その後には人の子である主があなたたちを救うためにやって来る。その救いの時はすぐ近く、戸口に立っているくらいに近いから、目を覚ましていなさいと言われるのです。
「目を覚ましていなさい」とイエス様は言われます。わたしたちは永遠の神様によって建てられたこの教会を通して無条件に受け入れられて、救われています。わたしたちはこの世にいる特に貧しい人、苦しんでいる人、知らない人を受け入れてまいりましょう。一人でいるとすぐに自分一人では何にもならないという眠りに誘われますから、できるだけ信じて待つ仲間と一緒に集い、わたしたちは神様の御手の中にあって赦され、愛されているんだと信じ、お互いに目を覚ましていられるように励ましあってまいりましょう。

日本基督教団 原町田教会 : 当教会では、日本聖書協会発行『新共同訳聖書』、日本基督教団出版局発行『讃美歌21』を使用しています。