2016年4月3日 平和があるように

◆ヨハネによる福音書20章19〜23節
◆エレミヤ書29章4〜7節
◆詩編 118編13〜25節

復活されたイエス様が、怖がっている弟子たちのところに来て言ったのが、「あなたがたに平和があるように」でした。弟子たちは自分たちもイエス様のように殺されるかもしれないとユダヤ人を恐れていました。彼らが怖がっていたのはユダヤ人だけでなく、イエス様のことも怖がっていたんじゃないでしょうか。ゲッセマネでイエス様が捕まった時、イエス様を置き去りにして一目散に自分たちだけで逃げたからです。イエス様にあわせる顔がない。イエス様に謝る時間もなかった。イエス様はきっとわたしたちのことを怒っていたはずだ。どうして逃げ出したんだろうと悔いる気持ちもあり、もう一方では「いや、逃げて正解だった。もし逃げなかったら一緒に殺されていたかもしれない。生きてなんぼのもんだ」。そうやって今生きている自分のことを正当化しようとする気持ちもあり、気持ちがゆらゆらして、どうも落ち着かず不安と恐れに押しつぶされそうな彼らを想像します。イエス様を見たってマグダラのマリアさんは言っていたけど、「ここにイエス様がやって来たらどうしよう」と不安だったはず。万が一イエス様にあったら、イエス様きっと怒って「なぜ、わたしを置き去りにして逃げたのか?」「一緒に死なねばならなくなってもあなたを知らないなんて決して言いませんと言ったのは誰だ?」なんて言うかもしれない。でも、イエス様がこの部屋にやって来て開口一番言ったのは「あなたがたに平和があるように」でした。

イエス様は本当に優しい方です。不安と恐れだらけの弟子たちに、「平和があるように」と言われた。これは赦しの言葉です。「あなたたちはわたしを置き去りにして逃げて行ったし、あなたたちは自分で言ったこととしていることがぜんぜん違うけれど、わたしはあなたたちを一切責めることはしない。ただ、わたしはあなたたちの平和を願う」。イエス様の赦しの言葉を聞いて、不安と恐れで死んでいた魂に命の息吹が吹き込まれます。冷たくなっていた心があたたかくなったんでしょう。弟子たちは元気になってようやくよみがえられたイエス様を見て喜びました。「弟子たちは主を見て喜んだ」と聖書にありますが、彼らの喜びはイエス様に会えたこと以上に自分たちのことをイエス様が赦してくれたことだったのかもしれません。

今日は2016年度の初めの礼拝です。イエス様はこの礼拝に集う皆さんにも言われました。「あなたがたに平和があるように」。このイエス様の言葉を聴けてわたしたちも嬉しいです。イエス様は、わたしたちがしてしまっている間違いを責めることなく「平和があるように」と繰返し、赦してくださっている。このイエス様の赦しがあるから今のわたしがいる。この赦しがあるからこそ今年度もやっていこうという気持ちをもつことができる。
2016年度、はじまる時は良い新しい年度にしたい、良い年度になってほしいと思います。「今年度を良くするためにはどうしたらいいか」と考えますとどうしても前の年を振り返ります。前のことを振り返るとだいたいは反省することが多いですね。もっとこうすれば良かったと思うことがいろいろ出てきます。原町田教会の牧師としては、もう少し信徒の方たちのところに訪問できたら良かった、信徒の方たちが思っていることに耳を傾ける時間が少なかったと感じています。ご高齢の方から順番に訪問しようと思って、年齢順の表に従って一番上から何人かは訪問できましたが、ここ最近はできていません。他にも失敗してしまったことが思い浮かびます。どうしてあんなことをしてしまったのか。もう少しゆっくり考えてやるべきだった。

教会の集会で「先生、『ホサナ』って言葉がありますが、どういう意味ですか?」と聞かれ、わたしは「それは『主を讃美します』という意味ですよ」と答えました。イエス様がエルサレムに入っていく時に民衆が「ホサナ」と言っていたのでそう答えたのですが、その後ちょっと不安になって辞書で調べたら違っていました。「主よ、救って下さい」という意味だとありました。どうして「わかりません」と素直に言えなかったのか。わからないときはわかりませんと言える牧師になりたいです。でも、ある時わたしが「わかりません」と言ったら、「先生、もっと勉強してください」と言われたこともあります。
こんな感じに自分のことを考えていますと、反省することがドンドン出てきます。

皆さんはどうですか?いろいろ、過去を振り返ってみますと自分の失敗や後悔したことなど思い出しませんか。先日の祈祷会の時でしたが、受難節でしたのでイエス様が十字架につけられる聖書個所を読んでそこに登場する人たちのことを話していました。ある人が「自分の命をかけて正しいことのために生きる人はいないですね」と言いました。イエス様に有罪の判決が下って後悔するユダさん、妻や民衆の間に挟まれてウロウロする総督ピラトさん、「十字架につけろ」と叫ぶ民衆、イエス様につばを吐きかけ殴る兵士、自分も十字架につけられていながら「他人は救ったのに、自分は救えない」と侮辱する強盗たち。十字架への道を歩むイエス様の周りには、正しいことをする人は見当たりません。皆さんの中で「わたしは正しく生きています」と言いきれる人はなかなかいないと思います。「正しいとは言い切れないけど、間違って生きているわけでもない」と思っている人がほとんどではないでしょうか。より良く生きていきたいと思う反面、あまり良いことはできていない自分もいる。自分のことを考えていますと正しく生きられない自分にどうしてもぶつかってしまいます。

自分のことばかり見ていると気持ちが落ち込んできます。まさにユダヤ人を恐れて、また、自分たちの失敗にとらわれて部屋に閉じこもる弟子たちのようです。イエス様はそんな弟子たちのところに来てくださり「平和があるように」と言いました。「自分のこと、自分たちのことばかりを考えてないで、神様のことを思いなさい。神様があなたたちにしてくださったことを伝える為にわたしはあなたたちをこの世に遣わします」。そう言って、イエス様は彼らに息を吹きかけられました。これは創世記で土の塊に息を吹きかけられた神様の業そのものです。塵から作られた人は最初はただの土の塊でしたが、神様が息を吹きかけられて初めて生きる者となる。創世記の2章にこうあります。7節「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹入れられた。こうして人は生きる者となった」。イエス様は、「平和があるように」との赦しの言葉を携えて弟子たちが出て行くようにと彼らに息を吹きかけて新しく作りかえてくださったのです。

「平和があるように」。このイエス様の言葉は、人を生きる者にします。「平和(へいわ)があるように」。たったの9文字で、幼稚園の子どもでも覚えられる素敵な言葉、難しい言葉ではありません。でも、この言葉を好きな人に言うよりも皆さんのことをイライラさせたりする人、皆さんにうそをついたりする人、皆さんが好きではない人、むかっとくる人に向かって心の中でいうのです。そのような人に向かって直接、「平和があるように」なんて言うのは難しいですから、一人になって少し心落ち着いた時でいいです。心の中でその人の名前を呼び上げて言うんです。「平和があるように」。一度だけでなく、イエス様のように何度も言ってください。一度に何回も言わず何日かに分けて何度も言うことをお勧めします。「〇〇さんに平和があるように」「〇〇さんに平安がありますように」と祈っているうちにその人のことを赦す自分になっていきます。イエス様が弟子たちにされたことですから、間違いありません。

これはイエス様よりもずっと前に神様がエレミヤさんを通してイスラエルの人たちに教えたことでもありました。バビロンに捕囚された人たちに神様は言われました。エレミヤ書29章7節「わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから」。バビロンの町は、イスラエルから見れば敵の町です。自分たちの国をぼろぼろにしたそのバビロンの国のために平安を祈りなさいと神様は言われます。イエス様が自分を裏切った弟子たちに「あなたたちに平和があるように」と祈ったことと同じです。

教会の牧師をしていますと日曜日は特にニコニコして、心の中は平和そのものという顔に見えますが、牧師でも人間ですからいつも心の中が平和であることはありません。3月のことでしたが、幼稚園の母親たちに聖書のお話をする時間がありまして、何を話そうかなといろいろ考えて準備して臨みました。ところが、その時、母親と一緒にいた1人の子どもが急に「やだ、やだ」と大きな声で叫び出しました。しばらく「やだ、やだ」と大きな声で叫んでいましたので、わたしもその声に負けないように大きな声で話しました。でも気持ちが話すことに集中できませんでした。その子は途中、幼稚園の先生に連れられてその部屋を出て行きましたが、結局、その声が気になって最後まで落ち着いて話すことができませんでした。せっかく準備してきたのにそれをしっかり伝えられなかった。しばらく、心の中がイライラしていました。牧師もイライラすることはあります。でも、そんな時が勝負所です。イエス様に教えてもらった素敵な言葉をそんな時にこそ使えば良いのです。人のことでイライラしているわたしにイエス様は「あなたに平和があるように」と言ってくださいます。ですから、わたしも人が話している時に「やだ、やだ」と大声を出したその子とその母親に「あなたがたに平和があるように」と言えるのです。わたしは2、3回。心の中で「〇〇さんに平和があるように」と言ってみました。すると気持ちがずいぶん楽になりました。これ、ものすごい効果があります。皆さんも是非やってみてください。牧師が保証します。というより、イエス様が保証します。嫌な人だな、どうしてあんなことするんだろうと思う人に向かって「〇〇さんに平和があるように」と祈りの中で声をかける。皆さんも人間ですから、時には他の人のことでイライラすることがあるでしょう。その直後は難しいかもしれませんが、しばらくたってから是非、その人に向かって心の中で、祈りの中でもいい。「〇〇さんに平和があるように」と言ってみてください。皆さん自身にへいわが与えられます。神様は皆さんを平和の使者、赦しの使者としてこの世に遣わされます。2016年度はこのイエス様の赦しの言葉を忘れないでいきたいですね。「あなたがたに平和があるように」。

 

当ぺージでの引用聖書:日本聖書協会発行『新共同訳聖書』 (c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988