2019年6月16日 天に名が記されること我嬉し

◆ルカによる福音書10章17〜20節
10:17 七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」
10:18 イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。
10:19 蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。
10:20 しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」

◆詩編8:2〜10
08:02 主よ、わたしたちの主よ あなたの御名は、いかに力強く 全地に満ちていることでしょう。天に輝くあなたの威光をたたえます
08:03 幼子、乳飲み子の口によって。あなたは刃向かう者に向かって砦を築き 報復する敵を絶ち滅ぼされます。
08:04 あなたの天を、あなたの指の業を わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。
08:05 そのあなたが御心に留めてくださるとは 人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう あなたが顧みてくださるとは。
08:06 神に僅かに劣るものとして人を造り なお、栄光と威光を冠としていただかせ
08:07 御手によって造られたものをすべて治めるように その足もとに置かれました。
08:08 羊も牛も、野の獣も
08:09 空の鳥、海の魚、海路を渡るものも。
08:10 主よ、わたしたちの主よ あなたの御名は、いかに力強く 全地に満ちていることでしょう。

みなさんは、買い物をしますと貯まっていくポイントカードを何枚ぐらい持っていますか?わたしは20枚ぐらい持っていると思います。買い物をしますと必ずと言っていいほどに「ポイントカードはありますか?」と聞かれますし、「いや、ありません」と答えますと「無料ですぐに作れますが・・・」と勧められます。なんだかポイントカードを持っていないと損をしているような気になりますから、以前はそう言われますと「はい、作ります」と言って作っていました。でも、財布の中がどんどんポイントカードで膨らんで、レジに並んでいる時に財布の中から何枚もあるカードから探し出すのに苦労して結局見つからない、そんなことが何度かありまして、もっぱら最近は「ポイントカードはいりません」と答えるようにしています。買い物以外にも携帯電話でもポイント、ガスや電気を使ってもポイント、世の中がポイントだらけになっていて、いつの間にかポイントを貯めることに自分の時間や労力をたくさん使って、わたしたちがポイントを使うのではなく、ポイントがわたしたちを使うようになってしまうかもしれません。実際にポイントがわたしたちを使う、そんなことが起きつつあります。その一つに「信用スコア」というものがありまして、中国やアメリカでは自分や他の人の信用度をスコア、点数で表すシステムがすでに始まっています。信用スコアというアプリがありまして、クレジットカードの支払いが滞っていないか、どのような資格を持っているか、学歴、職歴や仕事の実績、またSNSをよく利用しているかなどをAIが計算して人に点数、ポイントをつけていく、その人を評価できるようにするシステムです。その点数から「この人は信用できる人なのか、どうか」と判断するというのです。

イエス様はポイントや点数に振り回されそうになっているわたしたちに今日、福音の言葉をくださいました。それが20節後半の御言葉です。「むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」。

イエス様のところに72人の人たちが喜んで帰って来ました。彼らはイエス様によって近くの町や村に福音を伝えるために遣わされた弟子たちでした。10章の1節にこうあります。「その後、主はほかに72人を任命し、ご自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた」。72人は2人1組のチームとなって、遣わされた町や村に入って行き、病気の人がいたらその体に触れて福音を伝えて来ました。「あなたの罪は赦されています。あなたはすでに救われています。神の国はすぐ近くにあります」。72人の彼らが一旦その働きを終えてイエス様のところに報告に来たのが今日のところです。17節「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します」。彼らは自分たちがしたこと、悪霊を追い出して苦しむ人を助けることができたこと、それが嬉しくて、イエス様も喜んでくれるだろう、わたしたちのことを褒めてくれるに違いない。そう思っていましたから彼らはイエス様が「よくやった。100点満点だ。でもまだ苦しんでいる人たちがいるからこれからも頑張っていこう」、そんな返事を期待していたと思います。でも、イエス様は言われました。20節「しかし、悪霊があなたがたに服従したからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」。

18節でイエス様は言われました。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた」。これは神様がすでにサタンに勝利されてしたということです。天にある土俵から神様はサタンを寄り切り、突き落としてすでに軍配は上がっているのをわたしは見たと言うのです。19節「蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない」。すでに神様はサタンに打ち勝たれているのだから、この地上でも悪に打ち勝つ力をいただいているわたしイエスがあなたがたにその力を授けたから、勇気を出して福音を伝えなさいと言うのです。福音を伝える働きは大切です。イエス様は72人に間違った思い込みをしてしまっている人たちを解放するために福音を託しました。例えば、心や体に病を負った人たちの多くは「こんな病気になったのは、神様が悪魔に負けてしまったからだ」、「自分はもう救われない」、「もう生きていてもなんの意味もない」と思い込んでいました。72人は二人ずつに別れてその人たちのところに行き、その人たちの苦しみの声をしっかり聴いて、その彼らの思いを「そんなことはないよ」と否定することなく、「辛かったですね。苦しかったですね」としっかりと受け止め、そしてその後に力強くイエス様のお名前を使って福音を宣言したのです。「イエス様は言われました。あなたはすでに赦されています。神様は悪魔に打ち勝たれましたから、あなたを縛りつけるものはもはや何もありません」。それを聞いた人たちの多くは目からウロコが落ちる経験をしたはずです。真っ暗闇にいてもう前に進めないと思っていたところに一筋の光が差し込んできて、進むべき道が見える。救いの経験です。イエス様はそのように福音によって苦しむ人たちを救う72人の働きを喜んだと思います。でも、イエス様は知っていました。もし、彼らが自分の働きだけで自分を支えていくならば、いつか必ず倒れてしまう。だから、こう言われたのです。20節「しかし、悪霊があなたがたに服従したからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」。素敵な御言葉です。わたしたちの名前が天に、神様のところにしっかりと書き記されている。天に書き記されているのですから、それは決して消えることはありません。

18〜20節のイエス様の言葉を宮島なりに言い換えますとこうなります。「神様はすでに悪の力に打ち勝たれていて、その勝利を伝えるあなたたちの働きはとても大切だ。でも、自分の働きがうまくいったからと言ってそれだけを喜んではいけない。あなたたちが何かできたから喜ぶ以上に、たとえあなたたちがうまくできなかったとしても、どんなあなたたちであってもいつも覚えていてくださる方がいる、むしろ、そのことを喜びなさい」。

わたしたちは、何か問題なく、つつがなく物事を進めているときは特に気をつけなければならないことがあります。自分の働き、成果、結果だけがわたしたちを価値あるものとしているのではないということです。何かうまくできるから、あなたは良い人だということでもなく、何か良い成績、ポイントをたくさん集めたからあなたは価値ある人間だということでもない。もちろん、わたしたちは働くことを大切にしますし、働くことによって得られた成果や結果はわたしたちに大きな喜びを与えてくれます。でもそれだけに依って立つと危険なのです。イエス様は言われます。「むしろ、あなたたちの名前が天に書き記されていることを喜びなさい」。ここにわたしたち誰しもが依って立つべき岩があります。神様がこのわたしのことを忘れることなく、見捨てることなく、自らの手のひらにわたしの名前を刻み込むほどに覚えていてくださる。イザヤ書49章15節の終わりから16節にもこうあります。「わたしがあなたを忘れることは決してない。見よ、わたしはあなたをわたしの手のひらに刻みつける」。

先日読んだ本にとてもわかりやすい例えが載っていましたので紹介いたします。それは2つのパーティーのことです。一つは合格祝いのパーティー。もう一つは誕生日パーティーです。合格祝いパーティーはその人の努力が結果を結んで、それを家族などが「おめでとう」と言ってお祝いします。その人の行い(to do)が評価されるパーティーで、祝ってもらったその人は成功したことを記憶して、次も頑張って行こうと力づけられます。もう一つのは誕生日パーティーです。これはその人が生まれてきたこと、その人が生きていることを家族や友だちが祝い、「あなたに会えてよかった、あなたがいてくれることが嬉しい」と喜びを分かち合います。その人が存在していること(to be)を感謝します。どちらのパーティーもわたしたちには大切です。どんなに努力して結果を出したとしても1度もお祝いをしてもらえなかったら、その人はやる気をなくしてしまうかもしれません。でも、合格パーティーのような成功体験だけしか祝ってもらえなかったとしたらどうでしょうか?つまりあなたがいてくれることが嬉しいという存在を感謝することがなく、努力することだけを求められていたら、勉強ができるから価値がある、お金を儲けるから価値がある、◯◯ができるからあなたはいい人だ。そんな風に条件付きでしか認められなかったとしたら、きっとその人は燃え尽きてしまいます。期待されている結果を出せない限り、わたしは自分のことを喜んでもらえない、失敗するたびに「もっとがんばらなければダメだ」「失敗する自分はダメだ」と思ってしまい、ついには壊れてしまうのです。ですから、わたしたちには定期的に誕生日パーティーのような存在(to be)を認めてもらう時が必要なのです。結果を出しても出せなくても節目ごとに「あなたに会えてよかった。あなたが生きていることが嬉しい」と伝える、あなたの存在を無条件で喜ぶ祝いの時が必要なのです。イエス様が「むしろ、あなたたちの名前が天に書き記されていることを喜びなさい」と言われているのはそのことなのです。

詩編8編にもイエス様が伝える同じ福音の言葉がありました。8編の4〜5節をお読みします。「あなたの天を、あなたの指の業をわたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心に留めてくださるとは人間とは何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは」。天地、宇宙を造られた偉大なる神様が、ポイントや点数に右往左往してしまうわたしたちにも関わらず、しっかりと覚えていてくださっています。どこで生まれたとか、どんな家族なのか、学校はどこを出たとか、どんな仕事をしているとか、仕事の実績はどうかなどということでポイントを上げたり、下げたりしてしまうわたしたちにも関わらず、神様は今も、そしてこれからも顧みてくださるのです。

神様はできるとかできないとかに関係なく、わたしたちのことを心配し、気にしておられます。わたしたちが歩くのに遅れてしまったら立ち止まって振り返ってくださり、時には戻ってきて手を差し伸べてくださいます。「さあ、一緒に行こう。わたしが共にいるから大丈夫」と言ってくださいますから、わたしたちは毎週、礼拝でそのことを喜び、祝うのです。礼拝は、わたしたちすべての人の名前が天に書き記されていることを喜び祝う時です。「天に名が記されること我嬉し」

日本基督教団 原町田教会 : 当教会では、日本聖書協会発行『新共同訳聖書』、日本基督教団出版局発行『讃美歌21』を使用しています。