2019年5月19日 神様が選んだ

◆申命記7章6〜8節
07:06 あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。
07:07 主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。
07:08 ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。

◆ヨハネによる福音書15章12〜17節
15:12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
15:13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
15:14 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
15:15 もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。
15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。
15:17 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

◆詩編119:9〜16
119:09 どのようにして、若者は歩む道を清めるべきでしょうか。あなたの御言葉どおりに道を保つことです。
119:10 心を尽くしてわたしはあなたを尋ね求めます。あなたの戒めから迷い出ることのないようにしてください。
119:11 わたしは仰せを心に納めています あなたに対して過ちを犯すことのないように。
119:12 主よ、あなたをたたえます。あなたの掟を教えてください。
119:13 あなたの口から与えられた裁きを わたしの唇がひとつひとつ物語りますように。
119:14 どのような財宝よりも あなたの定めに従う道を喜びとしますように。
119:15 わたしはあなたの命令に心を砕き あなたの道に目を注ぎます。
119:16 わたしはあなたの掟を楽しみとし 御言葉を決して忘れません。

先週は礼拝の後に、原町田教会の会堂と幼稚園舎を設計する建築設計士を選ぶ総会を行いました。二人の建築設計士から一人を投票で選ぶ方法をとったのですが、その結果をわたしたち一人一人はどのように受け止めているでしょうか?自分が投票した方が選ばれてよかったと思ったのでしょうか?それとも投票した方ではない人が選ばれて残念と思ったのでしょうか?わたしは、どのような結果であっても、自分たちが選んだと受け止めるのではなく、神様がこの建築設計士を選んだと受け止めたいと思っています。なぜなら、教会を建てるのはわたしたちではなく、神様が福音を一人でも多くの人に伝えるために行う神様の業だからです。今日の御言葉にもそのことが明確に記されてありました。ヨハネによる福音書15章16節の最初にこうあります。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」。わたしたちはたびたび聖書とは違う方向に考えてしまうことがあります。数ある教会の中から、原町田教会がいいからここにしようと思ってこの教会を選んだと思ってしまうこと。本当はそうではありません。わたしたちが数ある教会から「この教会がいい」と選んだのではなく、神様がわたしたちを選んでこの原町田教会に導いてくださった。聖書はそう教えます。建築設計士のことも同じで、わたしたちが選んだのではなく、神様があの建築設計士を選んでくださった。それは神様がこの教会を通して福音を伝えるために選ばれたのです。わたしたちではなくて神様が選ばれたと受け止め、またこの会堂建築の働きはわたしたちではなく、神様がリードして行ってくださることだと一緒に信じていくことが何よりも大切だと神様は御言葉を通して伝えるのです。

神様は今も生きておられ、建築設計士を選び、またわたしたちをも選ばれます。この神様の選びには確かな目的があると聖書は伝えます。建築設計士の場合は、もちろん教会と幼稚園を設計するために選ばれたのですが、それ以上の目的があります。ヨハネによる福音書15章は2回も繰り返しその目的を伝えます。12節「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」。17節「互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である」。会堂や幼稚園を建てる目的は、互いに愛し合う集いのため、二人または三人がイエス様の名前によって集まり、互いに祈りあい、支え合う場所を建てるのです。とても立派な建物がここ原町田の地に建てられたとしても、もしそこに互いに愛し合う人が集わなかったらそれはもはや教会ではありません。イエス様は立派に建てられたエルサレム神殿に向かって「わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきだ」と言われたのも当時のエルサレム神殿が愛し合うことを大切にしていなかったからでした。

今から500年ほど前のことですが、日本に初めて聖書が宣教師によって伝えられたとき、「愛」という聖書の言葉を宣教師たちは日本語にどうやって訳したらいいのか、とても苦労したと言われています。なぜなら、当時の日本語の「愛」という言葉は男女の愛を思わせるニュアンスが強かったからです。そこで宣教師たちは、「アガペー」という聖書の言葉を「愛」とは訳さずに「ご大切」としました。ヨハネ福音書の15章12節を当時の言葉で言いますとこうなります。「わたしがあなたがた一人一人を大切に思うように、あなたがたも互いに大切だと思い合いなさい」。わたしはこの「ご大切」という言葉が好きです。わたし自身、原町田教会に集って「あー、わたしはみなさんに大切にしてもらっているな」と感じるからです。2週間前の5月5日の礼拝が終わった後、その日がわたしの誕生日でしたので皆さんがわたしのために祈ってくれました。自分のために祈ってもらえるってこんなに嬉しいことなんだと感じまして、実はわたし涙をぽろっと流しました。その後も何人もの人から「おめでとうございます」と声をかけていただいて嬉しかったです。「愛されている」「ご大切にされている」と実感しました。イエス様が言われる「わたしがあなたがたを愛したように」と言う御言葉の意味がグッと心に迫ります。わたし自身が原町田教会の皆さんから愛されていますから、わたしもますます皆さんを大切にしたいと思った次第です。原町田教会に集う皆さんのこと、ますます好きになっています。

原町田教会をこれからも互いに「大切にされているなぁ」と感じることのできる集まりにしていきましょう。誕生日の祈りもとってもいいのですが、それ以外に自分は仲間として受け入れてもらっているなぁと感じられるように工夫をしてまいりましょう。イエス様が2回も「互いに大切にし合いなさい」と言われるのは、罪赦され、神様から愛されているわたしたちなのですが、簡単にイエス様から離れてしまうかもしれないからです。自分とは違う考え方や自分とは合わない人を大切にしたくない、そんな罪にわたしたちは簡単に取り込まれてしまうからです。「互いに大切にし合いなさい」との御言葉をいただき、わたしたちは改めてどのような時に「自分は大切にしてもらっているなぁ」と感じるのかを考えてみるのです。何か辛いことがあった時に信頼する仲間から祈ってもらう時もそうでしょう。困った時に時間をとって相談にのってくれるのもそうです。また、違った考え方を持つ人であってもこのように共に礼拝に集い、神様の方に向かって賛美歌を歌い、同じ方向から御言葉とパンと杯をいただく恵みを経験すること。それも互いに大切にし合うことです。同じ考え方の人や同じ年齢の人、同じ国の人が集うのではなく、違った考え方、違う感じ方、違う経験をしてきた人、違う年齢、違う国の人を神様が選んでここに集めてくださっている、その奇跡をわたしたちは毎週、経験しているのです。自分とは違う人たちが一緒の場所に集って「見よ、兄弟姉妹が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」と賛美していること。違う者同士が、地縁、血縁を超えて家族となって一緒に力を合わせ神様のご用のため働いている。これは神様の選び、神様の御業としか言いようがありませんし、神様がこの集いを互いに大切にしあう仲間としてくださっているのです。

神様がわたしたちを大切にしてくださっていますから、わたしたちも互いに大切にしあう。それはこうやって集うことによってすでに実践しています。ただ、気をつけたいと思いますのは、新しくやってくる人たち、教会での生活が短い人にも「自分は大切にしてもらっている」と感じられるような原町田教会であり続けることです。すでに大切にされ、愛されているわたしたちはそのために工夫をし、新しい人たちを受け入れていきたいと思うのです。イエス様が16節の後半に言われていることはわたしたちへの応援メッセージなのです。「あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである」。イエス様がわたしたちを自分たちの満足だけにとどまらずにそこから一歩進み出て、新しくこの集いにやって来る人たちにも「あなたと出会えたことがとても嬉しいです。神様が出会わせてくださった」とその人に伝えたい。

神様はあなたがたを選んで「互いに大切にしあう」という神様の御業を進めておられます。皆さんは毎週、当たり前のようにここに集っていると思っているかもしれませんが、当たり前ではありません。神様が選んで実を結ばせ、その実が残るようにと皆さんを用いてくださっています。わたしは毎週、皆さんとこうして集っていることに感動し、また、日曜日だけでなくこの集いから生まれる実りも経験していますので、それをぜひ伝えたいと思うのです。「互いに愛し合う、大切にし合う」福音の種は礼拝の中で蒔かれて、皆さんが出かけて行ってわたしたちが把握できないほどに、いろいろなところで実を結んでいますが、その中の一つに原町田幼稚園があります。先日、青年会の食事会を開いたのですが、そこにこの春に中学1年生になった人が5人も初めてきてくれました。5人ともみんな原町田幼稚園出身で、これまで子どもの教会の礼拝にも集い、夏のキャンプにも来てくれていた子どもたちです。その5人が中学生になって教会ですでにバプテスマを受けた何人かの大学生や高校生と一緒に、この間お好み焼きを食べました。ただただお好み焼きを食べてお話をして集っただけですが、わたしはここに教会があると強く思い、「神様、あなたがこの集いに青年たちを選び集めてくださって感謝します」と祈り、一人で感動していました。そうしましたら、先日、中学生になった男の子の母親が「先日は、ありがとうございました。とても楽しかったと言っていました」と話しかけてきましたので、わたしも嬉しくなって「中学1年生が大学生や高校生と一緒にご飯を食べるっていいでしょ」と言いますとその人は「そうですよね。なかなか経験できないですね」と。わたしは嬉しくなって「それが教会です」と言いました。

教会は互いに愛し合うこと、互いに大切にし合うことを経験し、それを生きるところです。ここに集う一人一人がお互いに大切にし合えるように工夫する、そのことにわたしたちは任命されています。神様がどうしてこんなわたしを任命されるのか、わたしにはそんな大した能力も力もないと思う人もいるかもしれませんが、神様は何か、特別なものを持っているから皆さんを選んだ訳ではありません。何かの基準を満たしていてふさわしいから選ばれたのでもありません。ただ、神様の愛と憐れみのゆえに神様は「あなたがたを選んだ」と言われるのです。申命記7章7〜8節「主は心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジブトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである」。

「ただ、あなたに対する主の愛のゆえに」です。神様が命を与えた全ての人、わたしたち全員を愛してくださっているからこそ、「互いに大切にし合いなさい」という一番大切な使命のために、神様がわたしたちを神の国の建設のために任命されたのです。神様は宣言されます。「わたしが命を与えたあなたがたは、見よ、それらはとても素晴らしい」。「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたをいつも大切に思っている」。神様から数えきれないほどの大きな愛を頂いていますから、わたしたちも隣にいる人を、その人のことを好きでも嫌いでも大切にします。

日本基督教団 原町田教会 : 当教会では、日本聖書協会発行『新共同訳聖書』、日本基督教団出版局発行『讃美歌21』を使用しています。