2019年3月3日 わたしはあなたと共にいる

◆イザヤ書41章8〜16節
41:08 わたしの僕イスラエルよ。わたしの選んだヤコブよ。わたしの愛する友アブラハムの末よ。
41:09 わたしはあなたを固くとらえ 地の果て、その隅々から呼び出して言った。あなたはわたしの僕 わたしはあなたを選び、決して見捨てない。
41:10 恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け わたしの救いの右の手であなたを支える。
41:11 見よ、あなたに対して怒りを燃やす者は皆 恥を受け、辱められ 争う者は滅ぼされ、無に等しくなる。
41:12 争いを仕掛ける者は捜しても見いだせず 戦いを挑む者は無に帰し、むなしくなる。
41:13 わたしは主、あなたの神。あなたの右の手を固く取って言う 恐れるな、わたしはあなたを助ける、と。
41:14 あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神 主は言われる。恐れるな、虫けらのようなヤコブよ イスラエルの人々よ、わたしはあなたを助ける。
41:15 見よ、わたしはあなたを打穀機とする 新しく、鋭く、多くの刃をつけた打穀機と。あなたは山々を踏み砕き、丘をもみ殻とする。
41:16 あなたがそれをあおると、風が巻き上げ 嵐がそれを散らす。あなたは主によって喜び躍り イスラエルの聖なる神によって誇る。

◆詩編46:2〜12
46:02 神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。
46:03 わたしたちは決して恐れない 地が姿を変え 山々が揺らいで海の中に移るとも
46:04 海の水が騒ぎ、沸き返り その高ぶるさまに山々が震えるとも。〔セラ
46:05 大河とその流れは、神の都に喜びを与える いと高き神のいます聖所に。
46:06 神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。夜明けとともに、神は助けをお与えになる。
46:07 すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ。神が御声を出されると、地は溶け去る。
46:08 万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。〔セラ
46:09 主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。主はこの地を圧倒される。
46:10 地の果てまで、戦いを断ち 弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。
46:11 「力を捨てよ、知れ わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。」
46:12 万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。〔セラ

ここにいるほとんどの人は、自分用の聖書を少なくとも1冊は持っていると思います。いつでもどこでも読もうと思えば、聖書を読むことができますし、実にいろいろな翻訳の聖書も読むことができます。原町田教会の中でもすでに買われた人がいると思いますが、つい先日には、31年ぶりの翻訳聖書『聖書協会共同訳聖書』が出ました。長い教会の歴史の中でこれほど聖書が身近になった時代はないと言っても大げさではありません。ただ、そこで問われますのは、わたしたちの聖書を読む姿勢です。わたしたちは神様の御言葉としての聖書を読むときにどのような思いで読んでいるでしょうか?聖書の知識をもっと蓄えるために読むのでしょうか?それとも神様からの救いを求めて読むのでしょうか?どちらも間違いではないと思います。

ある人がとってもいいことを言っています。聖書は「わたし」と語る神様が、読者である一人一人の「あなた」にあてて書かれた手紙の束、ラブレターだと言うのです。わたしたちの郵便ポストには毎日のようにいくつもの商品案内の手紙、あるいは以前に買い物をして住所を教えたお店からキャンペーンや何%オフと書かれたハガキなどが届きます。それは不特定多数の人にあてられた印刷された文字です。パッと見てほとんどはリサイクル用のゴミ箱に投げ入れられます。でも、最近は減ってきていると思いますが、自分の手で書かれたハガキや手紙がわたし宛に送られてきますと嬉しくなります。聖書は不特定多数の人にあてて印刷された神様を説明する文章ではなく、神様がすべてのあなた個人に宛てて書かれた神様直筆のラブレターだと言うのです。神様がこのわたしに書いてくださっているんだ、そのような思いをもって読みますと聖書に書かれた御言葉がグッとわたしたちに迫ってまいります。

イザヤ書41章9節「わたしはあなたを固くとらえ、地の果て、その隅々から呼び出して言った。あなたはわたしの僕、わたしはあなたを選び、決して見捨てない」。神様があなたに言われるのです。すべての命を創造されている永遠なる神様が、とにかく多くの人に伝えようとするのでなく、一人一人のことを思いながら「わたしはあなたを選び、決して見捨てない」と言われているのです。それもわたしたちがその言葉の豊かさに気づいていない時からずっと繰り返し「恐れることはない。わたしはあなたと共にいる」と伝え続けておられます。

3月になりました。卒業シーズンです。原町田幼稚園の卒業式も今月の15日に行われます。幼稚園では毎年、卒業していく子どもたち一人一人に宛てて担任からの手書きメッセージや他の先生たちから短いメッセージが印刷された「神様に守られて」という冊子をお渡ししています。わたしは毎年のように「たんぽぽのみんなに出会えてとっても嬉しかった。大好きだよ」と言うような言葉を送っています。卒業式だけでなくて、誕生会のときに送る一人一人へのメッセージでも「あなたと出会えて嬉しい。大好きだよ」と書いています。わたし自身が神様から愛の言葉をなんども頂いていますから、同じように子どもたちに愛の言葉を子どもたちがわかる言葉で伝え続けています。先日、年長の女の子がわたしのところにやって来て、いきなり「宮島先生、結婚して」と言うのです。真面目に「わたしはすでに結婚しているからできないよ」なんて言わずに「わたしも◯◯ちゃんのこと大好きだから、結婚したいよ」と答えますと「今すぐにして」と言うので、わたしはひざまずいて「◯◯ちゃん、結婚してください」と言いました。その子はとっても嬉しそうでしたし、わたしも心がほっこりしました。

身近な人にこそ、日頃から愛の言葉を何気なく伝えられるといいなぁと思います。何か特別な時だけでなく普通に「あなたが先週いなくて寂しかった」とか、「この間はあなたがいてくれたから本当に助かりました。ありがとう」。恥ずかしくて言えないと思うかもしれませんが、神様がわたしたちに繰り返しラブレターなる聖書を通して「わたしはあなたを愛している」と言っているのですから、わたしたちもいつも近くにいる人に伝え続けたいのです。愛の言葉は聞いた人にとって命のパンとしてその人を元気にするからです。

神様は毎日わたしたちに愛の言葉を伝えています。イザヤ書41章10節「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け、わたしの救いの右の手であなたを支える」。聖書を一人で読む時には、これは神様がわたしに書いてくださったラブレターなんだと思いながら読んでいただきたいのですが、今日のように礼拝の中で説教として聞く時には、神様が説教者を通してあなたに言われていると受け止めていただきたいのです。神様が宮島を通して今、あなたに言われているのです。「わたしは主、あなたの神。あなたの右の手を固く取って言う。恐れるな、わたしはあなたを助ける」。

この神様の御言葉は紀元前6世紀ごろにイザヤさんを通してバビロンの地に連れて行かれ、故郷に戻ることを願っていたイスラエルの人たちに向けて伝えられた愛の言葉です。イスラエルの人たちは異国の地に無理やり連れてこられて何十年もそこにいましたから、「もう、わたしたちはダメだ。バビロン人たちからは『虫けら』と呼ばれているし、実際にわたしたちは虫けらだよ」と言っていたのかもしれません。わたしたちも思い描いている通りに物事が進まず、失敗ばかりしていますと「自分はダメだ。何の役にもたっていない。わたしなんていてもいなくても同じ」と自分を見下してしまいがちです。神様はそのようにいじけるわたしたちのことをよく知っていますから、何度も愛の言葉をかけてくださいます。14節「あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神、主は言われる。恐れるな、虫けらのようなヤコブよ、イスラエルの人々よ、わたしはあなたを助ける」。

神様はこのラブレターに書いた言葉を本当の出来事として実行されました。この後、イスラエルの人たちはバビロンから解放され、故郷に戻ることができました。紀元前538年ごろと言われています。愛の言葉はイスラエルの人たちだけに伝えられたのではありません。その後500年以上経って神様はすべての人を助けてくださいました。それがイエス・キリストによる救いです。

今年の1月1日から、わたしはヘンリ・ナウエンさんが書いた『今日のパン、明日の糧』という黙想の本を毎朝読んで、お祈りをしています。先日、その本に慰めについてこのようなことが書かれてありましたので、紹介させてください。慰めという言葉を英語で言いますと、consolationとなります。この慰めという言葉は2つのラテン語がくっついてできておりましてConとSolusという言葉です。Conは「共に」「一緒に」で、Solusは一人の人という言葉ですから、慰めるは「人と共にいる」こととなる、とありました。

神様からの愛の言葉をなんどもなんども繰り返し読んで、聞いていますと心に深い慰めを感じるのは、神様がどこか遠いところにおられる方ではなく、とても近く、わたしの横に、前に後ろに、時には下にいてくださるからなんだと改めて思いました。神様は今日も「わたしはあなたを固くとらえている」、「わたしの救いの右の手であなたを支える」と言われます。神様がその御手でもってわたしを支えてくれているのですから大丈夫とわたしたちは信じるのです。「わたしはあなたと共にいる」。この慰めの愛の言葉が目に見えるキリストの体として、そうです、このエクレシア、この原町田教会の集まりとなってこれまでも、また今もそしてこれからもあなたを助け、支えます。

招詞でコリントの信徒への手紙が読まれまして、そこにはこうありました。「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます」。もちろん、これは人間の力では難しいことです。痛み、悲しみの中にある人を前にした時、ほとんどの人はどんな言葉を言ったらいいのか、迷います。家族を失った人、重い病気を患った人、自死することを考えている人、生きる意味を見失った人。その人たちは心の底から慰めを求めていますが、わたしたちはオロオロしてしまうことがあります。でも、慰めるというのはその人の悲しみや苦しみを減らすのではなく、ただその人のそばにいて「わたしには何もできませんが、しばらく一緒にいることはできます」と言うこと。それこそ神様が教会を用いてわたしたちを慰めてくださっていることですし、勉強しなければできないことではありません。その人とお茶を飲み、お話しを聞いてしばしの時を一緒に過ごせばいいのです。

先ほどのご一緒に読みました詩編46編には、イザヤ書を通して語られる神様に向かって、わたしたちが応える言葉が記されていました。神様がまず言われます。「わたしはあなたを選び、決して見捨てない」。このラブレターにわたしたちはこう応えます。詩編46編2節「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる」。 続く3〜4節「わたしたちは決して恐れない。地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも」「海の水が騒ぎ、沸き返り、その高ぶるさまに山々が震えるとも」。この神様への返事の手紙は、一人一人が神様に宛てて書いているというよりも、教会のみんなで書いているイメージですね。先ほど一緒に声を合わせて詩編を読んだのもしっくりきます。神様が「わたしの救いの右の手であなたを支える」と言われたのに対して、わたしたちは応えます。8節と12節「万軍の主はわたしたちと共にいます」。だから、わたしたちは恐れません。思いもよらない状況に直面してもわたしたちは恐れません。なぜなら、「わたしはあなたを支え、助け、決して見捨てない」と言われる神様がわたしたちとどんな時でも一緒にいてくださるからです。

死から復活されたイエス様の親であり、わたしたちの親である神様は返事をするわたしたちに再度言われます。「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神」。

日本基督教団 原町田教会 : 当教会では、日本聖書協会発行『新共同訳聖書』、日本基督教団出版局発行『讃美歌21』を使用しています。