2018年11月4日 虹の契約

◆創世記9章8〜17節
09:08 神はノアと彼の息子たちに言われた。
09:09 「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。
09:10 あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。
09:11 わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」
09:12 更に神は言われた。「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。
09:13 すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。
09:14 わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、
09:15 わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。
09:16 雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」
09:17 神はノアに言われた。「これが、わたしと地上のすべて肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」

◆詩編1:1〜6
01:01 いかに幸いなことか 神に逆らう者の計らいに従って歩まず 罪ある者の道にとどまらず 傲慢な者と共に座らず
01:02 主の教えを愛し その教えを昼も夜も口ずさむ人。
01:03 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び 葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
01:04 神に逆らう者はそうではない。彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。
01:05 神に逆らう者は裁きに堪えず 罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。
01:06 神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。

ノアの物語は、創世記6章から始まっていまして、神様は人間が悪いことばかりしているのに心を痛め、後悔された場面から始まります。そしてノアとその家族にこのように言われました。「わたしはすべて肉なるものを滅ぼす。しかし、あなたたち家族は箱舟を造り、その中に入りなさい。また、全て命あるもののオスとメスも箱舟に連れて入り生き延びるようにしなさい」。実際に箱舟ができた後、雨が40日間も続いて、ものすごい洪水が起き地上からすべて命ある生き物はぬぐい去られました。しかし箱舟にいたノアとその家族、また動物のつがいたちは生き延びて、約1年後にようやく箱舟から地上に降り立つことができたのです。待ちに待った地上に彼らが降り立った時、ノアがまずしたことは、神様に礼拝を献げることでした。そのノアに神様が言われます。創世記8章21節「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。」

聖書は旧約聖書と新約聖書と二つに分かれていますが、いずれも神様とわたしたちとの契約の書物です。神様と人間との契約。契約と聞いてわたしたちがイメージしますのは、双方に守るべき事があって、お互いにそれを守ることが契約の条件となるということです。例えば、身近なことですと、働くときに交わす雇用契約もそうですし、アパートやマンションなどに住むときに交わす賃貸契約などが有ります。雇う側が働く時間や場所、仕事の内容をきちんと記して、その条件に対してこれだけの賃金を払いますと書いてその契約書に双方がサインをして契約が成立します。賃貸契約も同じ要領で借りる人と貸す人との双方が契約を交わします。旧約聖書でもシナイ山で神様がモーセを通してイスラエルの民と結ばれた契約は神様と人間との双方が交わすものでした。十戒を守るならば神様は必ずあなたたちを守り祝福するが、もしそれを破ったならば契約は破棄されるのです。

しかしながら、神様がノアと交わした契約は、双方が守るべき約束というよりも神様からの一方的な恵みを約束する契約でありました。9章9節で神様はノアと彼の息子たちにこう言われます。「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる」。10節後半「箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる」と言われて、神様自身が守るべきことを続けて言われます。11節「わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない」。この契約の最大の特徴は、神様だけが「何があっても決して滅ぼさない」という無条件に義務を負っているところです。

神様はもう決して滅ぼさないという契約のしるしとして虹を示されました。今でも虹が出るときに神様は、雲の中に現れた虹を見て、「肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない」と永遠の契約に心を留めてくださっています。創世記9章14節にあるとおりです。「わたしが地の上に雲を涌き起こらせ、雲の中に虹が現れると、わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものすべて滅ぼすことは決してない」。

最近、虹を見た方はいらっしゃいますか?虹を見て、わたしたちは何を思うのでしょうか?綺麗だな、久しぶりに見たなと思うのでしょうか。わたしたちは、神様が「決して滅ぼさない」と言われた恵みの契約、虹の契約を思い出したいですね。神様はどうして虹を契約のしるしとして選ばれたのか?虹を選ばれたのには、理由があって、虹には神様からのメッセージが込められていると思うのです。虹は日本では7つ色の赤、オレンジ、黄色、緑、水色、青、紫があって、それぞれの色はどこからどこまでが赤で、ここからはっきりオレンジになるということが難しく、それぞれの色の境をはっきりさせるのが難しい。虹をよく見ますとそうなっています。わたしはその虹を契約のしるしとされた神様の思いは御子であるイエス様にしっかりと引き継がれていると思うのです。そのことをわかりやすく述べている御言葉があります。それが今日の礼拝の招詞で読まれましたガラテヤの信徒への手紙3章の御言葉です。契約のしるしである虹の意味を聖書はこう伝えています。3章26〜28節「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。バプテスマを受けてキリストと結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」。色と色との間にある境がはっきりしないグラデーションである虹を神様が契約のしるしとされたのは、いまだにわたしたちの中にある間違った考え方を正すためだと思うのです。色をはっきりと分けてその違いによってある人たちが他の人たちを否定しようとする間違った考え方を正すためです。例えば黒人と白人というように区別して考えることがありますが、想像して見てください。白と黒の色をグラデーションとして少しずつ白が黒くなり、黒の方からは少しずつ白くなっていったとしたら、どこからが黒人で、どこからが白人なんて線を引くことはできません。同じように身分の違いによって人の価値を高くしたり低くしたりすることも神様の前ではできません。男と女の違いも虹のようにグラデーションがあって、男と女の間には様々な色合いがあるだけで、はっきりと分けられません。でも、なぜかわたしたちは人と人との間にはっきりとした境界線を引こうとして、あなたたちはこの色だからとラベルを貼って、あなたたちはあっちに行きなさいと無理に分けようとしてしまうのです。その隔たりが大きくなればなるほど「あなたたちは滅びに近づくのだ」と警告するのが虹のしるしなのだと受け止めます。

わたしたち人間が心に思うことは幼い時から悪いものですが、神様は雨の後に虹を見せてくださって、あなたたちは虹の色のように少しずつ違っていて一人として同じではない。その違いの間にむりやり線を引いて境を作らないで、その境を虹のようにつなぎ合わせて一緒に生きていくのですよと教えてくださっています。キリストの体であるこの教会に集っていますと、教会の人たちって、みんな違っていて、一つの色にまとまるのが大変だけど、いろんな色だからこそ、それが虹のようなグラデーションでつながっていてまさにキリストにあって一つの虹なんだと思わされます。

今日は聖徒の日、永眠者記念礼拝です。この日に神様は「肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない」との一方的な恵みの御言葉をくださいました。色と色との境目がぼやけて途切れることなくつながっている虹の契約です。虹の契約には命と死という境目をもつなげてしまう約束が含まれています。それがイエス様の死と復活によって明らかになったことです。

3ヶ月ほど前の7月下旬のことですが、わたしは共助会というキリスト者の集まりで今年89歳の加藤常昭先生の講演を聞きました。そのお話が「肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない」との虹の契約と深く関係しているように思いましたので、少しその話を紹介させてください。わたしはその時初めて、加藤先生が妻の介護や、彼女が地上の生涯を終えられた時の先生の気持ちをお聞きしました。加藤先生は、妻であるさゆり先生の10年を超える舌癌、最後にはリンパ癌を併発し、厳しい認知症を伴う苦しい病床生活を共にして、在宅介護を引き受けてきました。さゆり先生とはご一緒に伝道をした仲間であり、妻であり、母でした。加藤先生は、妻の死が近づいているのを覚えて、息もできないほど苦しみを味わったと話されました。そして妻の死去の日の夜、加藤先生は親友のメラー教授にメールをしました。するとその1時間後に次の返答をもらい、加藤先生はそれを読み1時間も涙を流し続け、深い慰めを得て、その後、涙にくれることはなくなったと話しました。これがそのメールです。「愛する加藤さん、悲しい知らせです。あなたは書いてこられました。妻が土曜日、午前10時、眠りに就いたと。長い舌癌、そしてリンパ腺癌の病苦は終わりました。神が眠らせてくださいました。神がお定めになったとき、再び手を取られ、こう呼びかけてくださるためです。『起きなさい、さゆり、蘇りの朝だよ!』と。だがしかし、あなたには無限につらいことですね。もはや、さゆりが、あの静かな仕方で、あなたの傍にいないことは。もはや、あなたと共に祈ってくれないことは。あなたを独りぼっちでこの世に遺していってしまったことは。長く共に生きました。一緒にいてしあわせでした。喪失の悲しみは肉体に食い込み、何よりも、心に食い込みます。あなたに神の慰めがくだってきてくださいますように。あなたの血を流すような苦しみを癒してくださるために来てくださいますように。多くの、本当に多くの、仲間のキリスト者が、木曜日にはあなたを囲むでしょう。その先頭にお子さんたちが、お孫さんたちがいますよね。キリストの蘇りのメッセージがあなたを捉え、この厳しいときに、励ましてくださいますように。あなたのことを思っています。あなたと一緒に祈っています。こころからの挨拶を送ります。クリスティアン・メラー」。

神様が今日、ここに集うわたしたちに言われました。「肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない」。この一方的な恵みの契約は、イエス様の復活によって神様とイエス様を救い主と信じるすべての人との間の永遠の約束となりました。イエス・キリストは「生きる」と「死ぬ」という境界線を乗り越えられました。イエス様の復活以前の世界では死は命の敗北、死はすべての終わり、死は悪の勝利と思われていました。しかし、イエス様が復活されて死はもはや命の終わりではなく、復活の命の始まりとなりました。「肉なるものすべてを滅ぼすことは決してない」と言われた神様は、イエス・キリストの死と復活によって、ノアと交わした永遠の契約を確かに更新されたのです。わたしたちの多くが滅びとして恐れる死は、もはや滅びではなくなりました。イエス様の前に死そのものが滅んだのです。死んで、土に帰って、存在しなくなるわたしたちのからだを神様がその御手にとって、「起きなさい。蘇りの朝だよ」と必ず引き取ってくださいます。虹の契約は「肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない」と言われます。

日本基督教団 原町田教会 : 当教会では、日本聖書協会発行『新共同訳聖書』、日本基督教団出版局発行『讃美歌21』を使用しています。