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2018年6月24日 この時のためにこそあなたはいる

◆エステル記4章10節〜5章8節
04:10 エステルはまたモルデカイへの返事をハタクにゆだねた。
04:11 「この国の役人と国民のだれもがよく知っているとおり、王宮の内庭におられる王に、召し出されずに近づく者は、男であれ女であれ死刑に処せられる、と法律の一条に定められております。ただ、王が金の笏を差し伸べられる場合にのみ、その者は死を免れます。三十日このかた私にはお召しがなく、王のもとには参っておりません。」
04:12 エステルの返事がモルデカイに伝えられると、
04:13 モルデカイは再びエステルに言い送った。「他のユダヤ人はどうであれ、自分は王宮にいて無事だと考えてはいけない。
04:14 この時にあたってあなたが口を閉ざしているなら、ユダヤ人の解放と救済は他のところから起こり、あなた自身と父の家は滅ぼされるにちがいない。この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか。」
04:15 エステルはモルデカイに返事を送った。
04:16 「早速、スサにいるすべてのユダヤ人を集め、私のために三日三晩断食し、飲食を一切断ってください。私も女官たちと共に、同じように断食いたします。このようにしてから、定めに反することではありますが、私は王のもとに参ります。このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります。」
04:17 そこでモルデカイは立ち去り、すべてエステルに頼まれたとおりにした。
05:01 それから三日目のことである。エステルは王妃の衣装を着け、王宮の内庭に入り、王宮に向かって立った。王は王宮の中で王宮の入り口に向かって王座に座っていた。
05:02 王は庭に立っている王妃エステルを見て、満悦の面持ちで、手にした金の笏を差し伸べた。エステルは近づいてその笏の先に触れた。
05:03 王は言った。「王妃エステル、どうしたのか。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」
05:04 エステルは答えた。「もし王のお心に適いますなら、今日私は酒宴を準備いたしますから、ハマンと一緒にお出ましください。」
05:05 王は、「早速ハマンを来させなさい。エステルの望みどおりにしよう」と言い、王とハマンはエステルが準備した酒宴に赴いた。
05:06 王はぶどう酒を飲みながらエステルに言った。「何か望みがあるならかなえてあげる。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」
05:07 「私の望み、私の願いはと申しますと」とエステルは言った。
05:08 「もし王のお心に適いますなら、もし特別な御配慮をいただき、私の望みをかなえ、願いをお聞き入れくださるのでございましたら、私は酒宴を準備いたしますから、どうぞハマンと一緒にお出ましください。明日、仰せのとおり私の願いを申し上げます。」

◆使徒言行録13章13〜25節
13:13 パウロとその一行は、パフォスから船出してパンフィリア州のペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった。
13:14 パウロとバルナバはペルゲから進んで、ピシディア州のアンティオキアに到着した。そして、安息日に会堂に入って席に着いた。
13:15 律法と預言者の書が朗読された後、会堂長たちが人をよこして、「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」と言わせた。
13:16 そこで、パウロは立ち上がり、手で人々を制して言った。「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々、聞いてください。
13:17 この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び出し、民がエジプトの地に住んでいる間に、これを強大なものとし、高く上げた御腕をもってそこから導き出してくださいました。
13:18 神はおよそ四十年の間、荒れ野で彼らの行いを耐え忍び、
13:19 カナンの地では七つの民族を滅ぼし、その土地を彼らに相続させてくださったのです。
13:20 これは、約四百五十年にわたることでした。その後、神は預言者サムエルの時代まで、裁く者たちを任命なさいました。
13:21 後に人々が王を求めたので、神は四十年の間、ベニヤミン族の者で、キシュの子サウルをお与えになり、
13:22 それからまた、サウルを退けてダビデを王の位につけ、彼について次のように宣言なさいました。『わたしは、エッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う。』
13:23 神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです。
13:24 ヨハネは、イエスがおいでになる前に、イスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝えました。
13:25 その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこう言いました。『わたしを何者だと思っているのか。わたしは、あなたたちが期待しているような者ではない。その方はわたしの後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもない。』

◆詩編33編4〜11節
33:04 主の御言葉は正しく 御業はすべて真実。
33:05 主は恵みの業と裁きを愛し 地は主の慈しみに満ちている。
33:06 御言葉によって天は造られ 主の口の息吹によって天の万象は造られた。
33:07 主は大海の水をせき止め 深淵の水を倉に納められた。
33:08 全地は主を畏れ 世界に住むものは皆、主におののく。
33:09 主が仰せになると、そのように成り 主が命じられると、そのように立つ。
33:10 主は国々の計らいを砕き 諸国の民の企てを挫かれる。
33:11 主の企てはとこしえに立ち 御心の計らいは代々に続く。

 

エステルには両親がいませんでしたので、彼女は小さい頃に親戚にあたるモルデカイにもらわれて、自分の娘のように育ててもらいました。二人ともペルシャ帝国に暮らすユダヤ人でしたが、モルデカイは王妃になったエステルに自分がユダヤ人であることを隠しておくように伝え、彼女はそれを守っていました。そんなある日のこと、モルデカイが国で王様につぐ力を持っていたハマンに敬礼をしませんでした。ハマンはそのことに腹を立てモルデカイだけでなくモルデカイが属するユダヤ人を皆、滅ぼすようにと命令を出し、王様も「お前がしたいようにすればいい」と認めてしまいました。モルデカイはその恐ろしいニュースを知って王妃であるエステルに伝えたのが今日の聖書の出来事です。モルデカイはエステルに「この時のためにこそ、あなたは王妃の位に達したのではないか」と伝え、その企(たくら)みを阻止するように迫りました。今日の聖書の後、7章になりますが、エステルは王様に「わたしの民族が滅ぼされそうになっておりますので、助けてください」と言い、「誰がそんなことを企んでいるのだ」と聞かれエステルは「その恐ろしい敵とは、この悪者ハマンでございます」と言って、その企みを止めさせることができたのです。

エステルは国中にいる同胞のユダヤ人たちが滅ぼされてしまわないように、勇気を出して王のところに行きました。育て親のモルデカイの一言「この時のためにこそ、あなたは王妃の位に達したのではないか」。この一言が彼女の背中を押し、彼女は滅びの危機にあった「この時」を見逃すことなく、王の前に立つことができ、ユダヤの人たちを救い出したのです。

神様は原町田教会のわたしたち一人ひとりにも「この時のためにこそあなたはそこにいる」と言われます。いつが自分にとっての「この時のためにこそ」なのか。誰かが危機の中にあって、自分が何かをすればその人が助かるという「この時」はいつなのか。エステルにとってのこの時はモルデカイによって知らされましたが、わたしたちにとってのこの時を誰が知らせてくれるのでしょうか。わたしたち一人一人にとって、またわたしたち全員にとっての「この時」を見逃さないように、聞き逃さないようにと神様が今日の御言葉を伝えます。

今日の御言葉はエステル記と使徒言行録ですが、実は、今日の教団の聖書日課ではそれに加えてマルコによる福音書の6章14〜29節があります。その箇所は、洗礼者ヨハネさんがヘロデ王によって首をはねられて殺されるところです。権力を持つヘロデ王が妻ヘロディアの娘に「欲しいものがあればなんでも言いなさい。お前にやろう」と客の前で豪語した後、彼女が「洗礼者ヨハネの首を」と言ったので客の手前「それはできない」と言えず、ヘロデ王はヨハネの首を跳ねさせるのです。そして今日のもう一つの聖書箇所、使徒言行録ではイスラエルの民が王を求めたとあります。本来であれば神様だけが国を治めるまことの王であるにもかかわらず、彼らも「王様が欲しい」と言い出したのです。使徒言行録では短くそのことを伝えていますが、ここは大切なところなので詳しくサムエル記上8章をみてみたいと思います。イスラエルの民は、「わたしたちのために王を立ててください」と当時、預言者だったサムエルに願いました。神様は「彼らの声に従いなさい。ただし、王が持つ力を教えておきなさい」と言われ王を立てたら、あなたたちはこうなると次のように具体的に教えています。「あなたたちの上に立つ王はあなたたちの息子を戦争のために徴用し、娘を働き手として徴用する。あなたたちから10分の1の財産を奪い取る。こうしてあなたたちは王の奴隷となる。その日、あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに泣き叫ぶ」。サムエルは人々にここまで話したのですが、人々はその声を聞かず「王が必要なのです」と言い張ったので、サムエルはサウルの頭に油を注いで王をたてたのです。王が持っている権力とそれによって戦争が始められると神様ははっきりと言われ、実際にそうなりました。これはイスラエルだけのことではありません。わたしたちのこの国のことでもあり、世界中にある国々のことでもあります。どのような形であっても王のように国で権力を持つ人は息子を戦争のために連れていき、税金を取り立てて戦争を始めようと間違うことがあるのです。

今日、与えられた聖書箇所が共通して伝えることは、人が集って国をつくり、そこで力をもった者は、時に間違ってその力を用いることがあり、その結果、弱い立場にある人たちの命が脅かされるという事実です。福音書の洗礼者ヨハネもそうですし、エステルたちユダヤ人もそうでした。ですから、日本という国の中で生きるわたしたちは国の中で力を持つ人たちを見張っていかなければなりません。エステルにしてもモルデカイにしても、できればあのようなギリギリの事態になる前に止めたかったと思います。でも危機的なことは、ギリギリに迫ってこないと気づかないのかもしれません。実際、王宮の中にいたエステルは何が起きているのか気付かずにモルデカイに指摘されて初めてその危機に気づきました。同じようにわたしたちも今、自分たちがどのような時代を生きているのか、エステルのようなギリギリの事態にはまだ至っていないのかもしれませんが、それに似た時が近づいているかもしれません。「この時のためにこそあなたはそこにいる」と神様がわたしたちに言われる「この時」は、エステルのような決定的な一瞬だけでなく、わたしたちの日常の生活の中にも刻まれているのではないでしょうか。

わたしたちの淡々としているように感じる日常の中にもいくつもの「この時のためにこそ」が隠されています。わたし自身が経験したことなのですが、ついこの間、ある人にとっての「この時」を見逃してしまったような辛い思いをしました。それは今年の4月でしたが、わたしが保証人として仮放免を申請していたインドの青年が自らの命を絶ってしまったことです。31歳の彼は昨年の4月に日本にやってきて、3ヶ月後の7月にオーバーステイで入管に収容されまして、去年の9月にわたしは彼と初めて品川の入管で面会しました。彼はインドでビジネスに失敗して多額の借金を抱えておりましたので、国に帰るとヤクザに命を狙われるから帰らないと言っていまして、何とかここから出たいとわたしに連絡して来ました。その11月に1回目の仮放免を申請をし、12月末に不許可となり、彼は茨城県の収容所に移され、今年の1月に2回目の申請をしまして、その結果が3月に届いていました。わたしは茨城の収容所には面会に行っておりませんので、収容されている人たちからかかってくる電話でその結果を伝えておりましたが、4月12日に彼のインドの友達から電話があり、わたしはその人の保証人もしていましたので「結果はどうでしたか?」と聞いてくる彼に「ダメだった」と伝え、「そうだ、彼にもダメだったと伝えてください」と電話で話しました。そう伝えた次の日の4月13日、彼はシャワー室で首をつって命を絶ってしまったのです。わたしは不許可の結果を伝える時、「何回ダメになっても、何回でも申請してあなたがここから出るまで保証人をするから大丈夫」と伝えているのですが、その時にはそれを言えませんでした。

もちろん、このことはわたしだけの問題ではなくて収容制度の問題でもあります。いつ収容所から出られるのか、全く見通しが取れない状態にとどめて、いつ強制送還されるのかわからない状態で、長い場合では2〜3年もほとんど自由のないところに収容している入管のあり方にも問題があります。でも、わたしが直接関わっていたことですからショックを受けましたし、「必ず出られるから大丈夫。わたしが最後まで保証人をやるよ」と伝えておけばこんなことにならなかったと思いました。「この時のためにこそ」を見逃してしまったように感じるのです。

ただ、神様はこんなわたしなのですが、いまだに用いてくださっていると実感できることがつい先日ありました。2年も大阪の入管に収容されていたスリランカの女性の仮放免が先日許可されたのです。彼女から電話がくる前に一緒に彼女を支援している人から「仮放免が許可されました」と連絡がありましたので、その同じ日の夕方、彼女から電話がかかってきて「宮島さん、ありがとう」というので「よかったね。また、こっちに遊びにきてね」と話しました。ただ仮放免で万事オッケーという訳ではないのですが、とりあえず辛い収容所からは解放されたのですから、よかった、神様ありがとうございますと祈りました。

わたしたちの近くに困っている人がいたら自分ができることをしていこうという気持ちによって、「この時のためにこそ」を見逃さずにいたい。特に国の権力によって社会の中で弱い立場にある人たちの命が脅かされることのないように「この時のためにこそあなたがここにいるのだ」との声を聞き逃すことのないようにしたいです。そのためにはイエス様のように弱い立場に置かれている人たちをできる範囲で訪ね、その人たちの声を聞かなければならないと思います。

神様は言われます。「この時のためにこそ、あなたはそこに生きているのではないか」。この国の中でわたしたちは、だいたい毎日のように同じ人たちと会って生活をしています。そうしますとあまり国の力によって辛く苦しい立場に置かれる人たちとは出会わないかもしれません。しかし、クセルクセス王の国にユダヤ人がいたように、わたしたちのこの国にもモルデカイやエステルのようにすぐに弱い立場に追いやられてしまう人たちがいます。わたし宮島は個人的にほとんど何も関われていないのですが、原発事故によっていまも十字架を背負わされている福島県の人たち、また、アメリカ軍の基地という十字架を背負わされている沖縄の人たちのことを祈り続けなければならないと思うのです。祈り続けることは、「この時のためにこそ、あなたはそこにいるのだ」との神様の声を聞き逃さないようにするための最低限のことです。わたしは3年前に沖縄に行く機会が与えられ、その時に「基地ができませんように」と祈り続けていた辺野古に行くことができ、1時間ぐらいでしたが、基地建設反対をする人たちと一緒に座り込みをしてきました。辺野古を去る時に一人のおばあさんが動き出した車の中にいるわたしに向かって「牧師先生、わたしたちのこと、忘れないでくださいね」と大きな声で叫んだその言葉がわたしの胸に残っています。

「この時のためにこそ」との声を聞き逃さないでエステルのように行動することはとても難しいことだと思います。でも、もし聞き逃してしまったらその人たちだけでなく、わたしたち自身も大変なことになると聖書は伝えますから、国という大きな力によって苦しい立場に置かれている人たちの声を聞き続け、また祈り続けましょう。

詩編33編10節「主は国々の計らいを砕き、諸国の民の企てを挫かれる。主の企てはとこしえに立ち、御心の計らいは代々に続く」。人間の計画や企てはその時はうまくいったように見えますが、とこしえに立つことはありません。6節「御言葉によって天は造られ、主の口の息吹によって天の万象は造られた」。神様だけがすべての命を平等に愛し、治められる方。すべての命が等しく愛され、大切にされる神様の思いがこの地になりますようにと祈りつつ、小さくされている人たちの声を聞き逃さないようにしましょう。「この時のためにこそ、あなたはそこにいるのではないか」。

日本基督教団 原町田教会 : 当教会では、日本聖書協会発行『新共同訳聖書』、日本基督教団出版局発行『讃美歌21』を使用しています。