2018年6月10日 あなたも家族も救われます

◆使徒言行録16章16〜34節
16:16 わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた。
16:17 彼女は、パウロやわたしたちの後ろについて来てこう叫ぶのであった。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」
16:18 彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」すると即座に、霊が彼女から出て行った。
16:19 ところが、この女の主人たちは、金もうけの望みがなくなってしまったことを知り、パウロとシラスを捕らえ、役人に引き渡すために広場へ引き立てて行った。
16:20 そして、二人を高官たちに引き渡してこう言った。「この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。
16:21 ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております。」
16:22 群衆も一緒になって二人を責め立てたので、高官たちは二人の衣服をはぎ取り、「鞭で打て」と命じた。
16:23 そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。 16:24この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。
16:25 真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。
16:26 突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。
16:27 目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。
16:28 パウロは大声で叫んだ。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」
16:29 看守は、明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、
16:30 二人を外へ連れ出して言った。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」
16:31 二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
16:32 そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。
16:33 まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。
16:34 この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。

◆詩編 32編1〜7節
32:01 いかに幸いなことでしょう 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
32:02 いかに幸いなことでしょう 主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。
32:03 わたしは黙し続けて 絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。
32:04 御手は昼も夜もわたしの上に重く わたしの力は 夏の日照りにあって衰え果てました。
32:05 わたしは罪をあなたに示し 咎を隠しませんでした。わたしは言いました 「主にわたしの背きを告白しよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを赦してくださいました。
32:06 あなたの慈しみに生きる人は皆 あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。大水が溢れ流れるときにも その人に及ぶことは決してありません。
32:07 あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって わたしを囲んでくださる方。

 

わたしはあまり知りませんでしたが、自分のことを占って欲しいと思う人は今の時代もたくさんいるようでして、インターネットで「占いの市場規模」と調べますと、右肩上がりでなんと日本国内だけで5000億円もあるとありました。

使徒言行録に出てきます占い師の女性も占いによってたくさん儲けていまして、でもそのほとんどは主人たちに取り立てられていました。彼女はきっと占うのが上手だったのでしょう。相手の恐れや不安、自信のなさを巧みに読み取ってこのように話していたのかもしれません。例えば、子どもが欲しくても与えられない女性がやってきて「どうしてわたしには子どもができないんですか?」と藁をもすがる思いで聞きます。すると彼女は「あなたの先祖には子どもに悪いことをした人がいるようです。まずその悪い霊を取り除かなければなりません」と言って誰でもそうかもしれないと思うようなことを伝え、でもその不安は必ず取り除かれると解決策を提示します。すると聞いていた人は「本当かもしれない」と思い込み「ではお願いします」と言ってしまうのです。占い師は「この水晶を買って家に置いておけば子どもが生まれます」と言って、ちょっと高い、でも買えない値段ではない水晶を買わせていたのかもしれません。彼女は巧みにわたしたちが感じる病気への不安、家族や職場などあらゆる人間関係からの不安、将来への不安、お金の不安など心の揺れ動きを上手に掴み取り、「ズバリ、あなたの不安は悪い霊のせいです」と間違ったことを思い込ませ、高額な利益を得ていたのだと想像します。

しかし彼女自身、そのような偽りの生活をやめたかったのでしょう。人に間違った思い込みをさせて騙して大儲けしていたことに「こんなことはダメだ」。彼女は本当にこのままでいいのだろうかと不安や恐れを感じていたはずです。だから、彼女はパウロさんとシラスさんにしつこくついて行って「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです」と救いを求めて声をあげたのです。パウロさんはたまりかねて彼女に向かって言います。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」。占いはお金をとって除霊などをしますが、パウロさんは無料でその人に救いを宣言します。こうして彼女は嘘をついてお金を騙し取る生活から解放されたのです。

占いの彼女とは対照的に彼女を使って金儲けをしていた主人たちは、パウロさんとシラスさんを高官たちに引き渡し、はらいせに本当はしてもいないことまで訴えたので、2人は鞭打たれ牢屋に入れられてしまいました。鞭で背中を打たれて、足かせをはめられて牢屋に入れられたら普通、気持ちが落ち込んで「もうダメだ」と思ってしまいますが、二人は牢屋の中でも賛美歌を歌って神様に祈っていました。神様は必ずわたしたちを助けてくれる。神様にできないことはないと2人は思い込んでいたのです。この2人の思い込みが人を救うことにつながっていきます。

神様を信じて生きることは、「神様の思いこそ本当のことだ」との思い込みでもあります。この2人は、必ず神様が助けてくださるし、たとえ牢から逃れられなかったとしてもこの中にいる人たちに福音を伝えて救いに導くことができると思い込んでいました。それとは反対に自分はもうダメだと思い込んでしまう人がここに登場します。牢屋を見張っていた看守です。彼は自分の間違った思い込みで自分自身を滅びへと追い込んでしまいます。大きな地震があって、牢の戸が全部開いて、囚人たちを逃げないようにつないでいた鎖も全部外れてしまいました。真夜中でしたので寝ていた看守は目を覚まして牢の戸が開いているのを見て、「囚人たちが逃げてしまった」と思いました。牢の戸が全部開いたのですから、そう思って当然です。もう、終わりだ。一人ならまだしも、囚人全員が逃げたとなるとわたしの人生もおしまいだ。そう思って持っていた剣を抜いて看守は自害しようとしましたが、でも、それは間違った思い込みだったのです。27節にある通りです。「目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのをみて、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした」。しかし、救いの言葉が看守の耳に届きます。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる」。パウロさんとシラスさんの二人だけでなく、囚人は皆そこにいたのです。牢の戸は開き、すべての囚人の鎖が外れていたにもかかわらず、誰もそこから逃げませんでした。看守はこの時点ですでに救われていました。こうなって当たり前だと思っていたことが実は違っていた。こうなるだろうと思っていたことは単なる人間の思い込み、間違った思い込みで、神様の思いは違っていた。そのことに目が開かれたのです。

わたしたちもこの看守のように思い込んでしまうこと、あると思います。「こんな自分はダメだ」「わたしはこんなに欲深いから神様から見放される」「自分は幸せになれないような気がする」「持っているお金も少ないし、自分を助けてくれる人なんか誰もいない」、そんな風に間違ったことを思い込み、自分は救われないと恐れにとりつかれてしまう。しかし、これは全部、人間の思いですし、神様の思いとは違います。そのような間違った思い込みは、わたしたちを神様から遠ざけようとしますから、間違った思い込みは悪い霊の働きと言うこともできます。わたしたち、あまり気づいていないのですが、間違った思い込みによってどれほど神様の思いを自分の中に入れないようにしているのか。でも、神様の思いはいつまでも変わらず語りかけてくださいます。「わたしはあなたを愛している」。「わたしはあなたを守る。わたしはあなたのまことの親だから、あなたを決して見捨てない」。「あなたはすでにわたしの救いの中にある」。わたしたちは繰り返し神様の思いを聞いて「本当にそうだ、アーメン」と受け止め、自分の中にある自分の思い込みには、「どうぞ、もう出て行ってください」と伝え、神様の思いで心を満たしていただくのです。

自分の思いは単なる人間の思い込みなんだ、と気づいてわたしたちもこの看守のように「救われるためにはどうすべきでしょうか」と心を神様に向かって開きます。そして「神様はイエス様によってわたしを愛してくださり、ゆるしてくださっている」と信じるだけでいいのです。壺や水晶など買う必要もなければ、除霊もしなくてもいい。ただ主イエス様が本当の救い主だと信じるだけ。「そうすれば、あなたも家族も救われます」。パウロさんが言ったこの言葉には、すでに差し出されている神様の救いが大前提にあって、それが省かれていますので、わたしなりに補いますとこうなります。「すべての人にはすでに神様の救いが差し出されています。だから、主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」。もうすでに自分の家族も救いの中にいるとあなたが信じること、神様はすべての人を愛していると信じること。それが自分の救いであり、家族の救いでもあります。自分の家族は教会にも来ていないし、聖書の言葉もあまり知らない。でもすでに神様の救いの御手の中にあると信じる。すでにあの人も救いの中にある、神様の愛の中にあると信じるのです。神様の思いはわたしたちの思いをはるかに超えて大きく全ての人を包み込んでいます。その救いのしるしとして「わたしはイエス様を信じます」と信仰を告白することで、神様はわたしたちに「本当にわたしは救われたんだ」とまことの救いを実感させてくださいます。この看守も「わたしたちは皆ここにいる」と言われ命びろいをしてすでに救われていたのですが、彼はその自分が救われたというしるしを求めました。「救われるためにはどうすべきでしょうか」。パウロさんとシラスさんは、看守とその家族に主の言葉、神様の思いを伝えたところ、真夜中でしたが、看守は「わたしはイエス様を救い主として信じます」と信仰を告白し、バプテスマを受けました。看守とその家族は、バプテスマによって教会につながる者となりました。ここに救いがあります。教会につながることで神様の思いを繰り返し聞いて、自分の間違った思い込みを減らし、神様の豊かな思いで心を満たしていくことができるからです。神様の思いを仲間たちと一緒に聞いて、その仲間たちと一緒に食事をする。そこに救いが実現しています。

人間の間違った思い込みからの解放。自分の思い込みでなく神様の思いを自分の中に受け入れていく。わたしたちも自分の思い込みに気をつけたいです。「わたしは神様からこうしなさいと言われていることをほとんどできていないから、天国には入れないはずだ」。「嘘もついたこともあるし、自分が言ったことで人を傷つけてしまったこともある。だから、神様に合わせる顔がない。自分は赦されないだろう」。そんな思い込みはいつでも忍び寄ってきます。自分の目で見たこと、自分の耳で聞いたこと、自分の失敗やだらしなさによって「自分はダメだ」「わたしなんかいてもいなくても同じだ」「自分は救われない」と思ってしまうこと。そのように思い込んでしまうのはそんなに難しいことでなく、看守がそうだったようにちょっとしたことでどんな人でも思ってしまうことなのです。

しかし、誰がなんと言おうと、わたしたちがどれほど「自分はダメだ」と思い込んでいたとしても、神様は変わらず神様の思いを伝え続けます。「わたしはあなたを愛している」「あなたはすでにわたしの救いの中にある」。「そのことを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われます」。

この世界、この社会、わたしたちの周りには、神様の愛に気づかず、神様の思いを受け入れる機会が少なくて、たくさんの人が苦しんでいます。わたしたちも時々、間違った人間の思いに引っ張られてしまうこともありますが、でも神様の思いを聞き続けて、「神様の思いこそ本物だ」と信じていますし、互いにこうやって信じていこうと励まし合い、祈り合う仲間もいます。だからこそ、わたしたち教会は、自分の思い込みで苦しんでいる人たちに向かって神様の思いを伝えます。「神様はイエス様によってあなたもあなたの家族もすべて愛し、ゆるしています。そのことを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われます」。

日本基督教団 原町田教会 : 当教会では、日本聖書協会発行『新共同訳聖書』、日本基督教団出版局発行『讃美歌21』を使用しています。