2016年1月24日  真理はあなたの内にある

◆ヨハネの手紙二 1〜13節
01 長老のわたしから、選ばれた婦人とその子たちへ。わたしは、あなたがたを真に愛しています。わたしばかりでなく、真理を知っている人はすべて、あなたがたを愛しています。
02 それは、いつもわたしたちの内にある真理によることで、真理は永遠にわたしたちと共にあります。
03 父である神と、その父の御子イエス・キリストからの恵みと憐れみと平和は、真理と愛のうちにわたしたちと共にあります。
04 あなたの子供たちの中に、わたしたちが御父から受けた掟どおりに、真理に歩んでいる人がいるのを知って、大変うれしく思いました。
05 さて、婦人よ、あなたにお願いしたいことがあります。わたしが書くのは新しい掟ではなく、初めからわたしたちが持っていた掟、つまり互いに愛し合うということです。
06 愛とは、御父の掟に従って歩むことであり、この掟とは、あなたがたが初めから聞いていたように、愛に歩むことです。
07 このように書くのは、人を惑わす者が大勢世に出て来たからです。彼らは、イエス・キリストが肉となって来られたことを公に言い表そうとしません。こういう者は人を惑わす者、反キリストです。
08 気をつけて、わたしたちが努力して得たものを失うことなく、豊かな報いを受けるようにしなさい。
09 だれであろうと、キリストの教えを越えて、これにとどまらない者は、神に結ばれていません。その教えにとどまっている人にこそ、御父も御子もおられます。
10 この教えを携えずにあなたがたのところに来る者は、家に入れてはなりません。挨拶してもなりません。
11 そのような者に挨拶する人は、その悪い行いに加わるのです。
12 あなたがたに書くことはまだいろいろありますが、紙とインクで書こうとは思いません。わたしたちの喜びが満ちあふれるように、あなたがたのところに行って親しく話し合いたいものです。
13 あなたの姉妹、選ばれた婦人の子供たちが、あなたによろしくと言っています。

◆ヨハネによる福音書8章21〜36節
21 そこで、イエスはまた言われた。「わたしは去って行く。あなたたちはわたしを捜すだろう。だが、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない。」
22 ユダヤ人たちが、「『わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない』と言っているが、自殺でもするつもりなのだろうか」と話していると、
23 イエスは彼らに言われた。「あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。
24 だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」
25 彼らが、「あなたは、いったい、どなたですか」と言うと、イエスは言われた。「それは初めから話しているではないか。
26 あなたたちについては、言うべきこと、裁くべきことがたくさんある。しかし、わたしをお遣わしになった方は真実であり、わたしはその方から聞いたことを、世に向かって話している。」
27 彼らは、イエスが御父について話しておられることを悟らなかった。
28 そこで、イエスは言われた。「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということ、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。
29 わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにしてはおかれない。わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」
30 これらのことを語られたとき、多くの人々がイエスを信じた。
31 イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。
32 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
33 すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」
34 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。
35 奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。
36 だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。

「真理は皆さんを自由にします」。真理と聞きますと、何か崇高な教え、わたしたちの日常の生活とは何か違うところでの言葉、皆さんはそんな風に感じませんか。キリスト教で言えば、神学校でしっかり勉強してたくさんの本を読んだ、博士のような人にしか、真理を悟ることはできない。あるいは、何日も断食をして祈り続けるような修行を積んで、ようやくこれが真理だと悟る。真理とはそのようなもの、そんな簡単に手に入るものではないと思っているところがありませんか。

でも、そうではないと聖書は皆さんに言います。ヨハネの手紙の2節にこうあります。「真理は永遠にわたしたちと共にあります」。真理はもうすでに皆さんと共にある。永遠に変わることのない方であるイエス・キリストは、皆さんの中に御言葉として生きていますから、皆さんが「そんなことない」と思ったとしても、真理はいつも皆さんの内にあります。神様が聖書を通して言われるんです。「いつもわたしたちの内にある真理、真理は永遠にわたしたちと共にあります」。

皆さんが礼拝に集い、御言葉を聴き、聖餐にあずかるとき、目には見えないけれど確実に皆さんの中に生きているキリストの御言葉、目に見えて皆さんの肉と血となるパンと杯という御言葉。皆さんの内には、確かにイエス・キリストという真理が生きています。その真理が皆さんを自由にするのです。真理とはイエス・キリストであり、イエス・キリストとは御言葉そのもの。真理は皆さん一人ひとりの中に確かにあります。ですから、皆さんには「たしかに御言葉がわたしの中にある」と信じていただきたい。「わたしの中にはイエス・キリストが御言葉として生きている」と信じるのです。

牧師をしていますと、教会の方たちと一緒に聖書を読むことがよくありますが、牧師業10年目のわたしがこれまでに何十回とその席で聞いた言葉があります。それは「イエス様の言うことはわかりますが、難しいですね」という言葉です。今日の聖書個所のヨハネの手紙で言えば、「『互いに愛し合う』とありますが、なかなかできない。難しいですね」というのでしょう。それを実行するのは難しいというのは率直な気持ちですし、わかります。でも、考えてみて下さい。神様は皆さんが御言葉を実行することを何よりも大切なこととして期待しているのでしょうか。御言葉をこれだけ行なうことができましたという祈りを神様は期待しているのでしょうか。もちろん、ヤコブの手紙にあるとおり、御言葉を行なうことも大切です。でもまず何よりも神様が、イエス様がわたしたちに期待するのは、「真理はすでにわたしの内に生きている」と信じることではないでしょうか。「わたしは何よりもイエス・キリストを大切にします。真理であるイエス・キリストがわたしの内に生きていると信じます」と信仰告白すること。わたしたち、礼拝の中では毎週のように少し長い日本基督教団信仰告白をしていますが、あえて一言で言うならば、「わたしの人生で最も大切なのは、イエス・キリストです」というのが信仰告白ではないでしょうか。

真理って、辞書で調べると「いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の道筋」となっていますが、聖書が伝える真理とは、イエス・キリストです。皆さんの中には確かにその真理が宿っていますから、「難しい」と言う前に「真理はわたしの内にある」と信じましょう。皆さんがイエス様の御言葉を実行するしないにかかわらず、イエス・キリストという愛そのものである御言葉は、皆さんの内に確かに生きています。それを信じることは、難しいことではありません。

真理は皆さんを自由にするのですから、「真理はわたしの内にある」と信じているうちは自由ですが、信じていないと逆にだんだん、不自由になっていきます。イエス・キリスト以外の何かに捕われてしまう不自由さ。真理であるイエス・キリストと離れてしまうと別の何かの奴隷になりかねません。何かに捕われてしまい、身動きが自由に取れなくなってしまうなどの経験をしたことはありませんか。この世には、わたしたちの心の中に入ってきて、ガシッとわたしたちを捕らえようとするものはいくらでもあります。まず思い浮かぶのは、お金でしょうか。お金が「わたしの人生で最も大切」となってしまうと初めのうちは自由でいても、少しずつ身動きがとれなくなっていき、しまいにはその不自由さから、自分のまわりにあるものに八つ当たりをし始めます。自分自身の心や体を壊すかもしれませんし、家族を壊してしまうこともあるかもしれません。お金は大切ですが、何よりも大切なものとはいえない。

「健康」というのもなかなかくせ者ですね。何よりも健康が大事。それはよーくわかります。体が健康でなかったら、何をするにも面白くないし、つらい。わたしも体がそれほど強い方ではないので、できるだけ体調を良くするようにと心がけていることがあります。それは「ばっちり健康」でなくても「ここらへんで」と自分の中で折り合いをつけて、ほどほどに健康でやっていくこと。健康第一というよりも、むしろ「イエス・キリスト第一」で、健康になっていくんじゃないでしょうか。誰でも病気になることはあります。病気になっても、キリスト第一なら、病気の自分を責めることなく、「あ、神様が少し休みなさいと言っているんだ」と受け止めることができる。

ついこの間ですが、久しぶりに病気になりました。インドに行って最初のうちは元気でしたが、やっぱり何日かしてお腹が悪りくなり、熱も出してしまったんです。わたしだけでなく、娘2人も順番に下痢と呕吐。牧師になって以来、初めて、いや、2回目ですか、日曜日の礼拝を休んでしまいました。インドの教会の礼拝に出席したかったのですが、残念という気持ちと、でも、こんなわたしでも神様は見捨てることなく、見守っていて下さるという気持ちもあり、1月10日の日曜日は朝から一日ベッドで子どもたちと一緒にゴロゴロしていました。インドと日本の時差は3時間半ですので、インド時間で朝7時すぎると「あ、原町田教会の礼拝が始まったな」、8時すぎには「そろそろ終わって、サッと帰る人がいたり、少し残っておしゃべりする人もいる頃だな」なんて思っていました。どこに行ってもわたしは、原町田教会の神の家族、皆さんのことが忘れられないのです。その日は嬉しいことに、わたしが泊っている家に教会の人たちが来てくれて、熱心にお祈りをしていってくれました。日曜日の礼拝にたまに出られなくても、わたしたちの中にはイエス・キリストが御言葉として生きている。
もちろん、世の中には、重い病気、治る見込みがないと言われる難病もあります。どうして、神様はこんな苦しみを与えられるのかわからない。そう思うこともあります。いくら祈っても、いくら聖書を読んでも、いくら礼拝の説教を聞いても納得できない。わたしも難病になった人の家族から、「この病気を受け入れることはできません」と言われたことがあり、何も答えられませんでした。そのような弱さを抱えたわたしたちに神様は言われるのです。「真理であるイエス・キリストは、あなたの中にも、難病を患っているあの人の中にも確かにいる」。

イエス・キリストという真理はすでに皆さんの中に与えられていて、その真理がみなさんを自由にします。

わたしは6年ぐらい前から、最初は茨城の牛久にある入管収容施設、町田に来てからは品川にある収容施設に面会に行っていますが、そこにはここに集うわたしたちとは違う意味での不自由な生活を送っている人たちがいます。

10畳ほどの部屋に多い時には6〜7人、しかも言葉が通じないいろいろな国の人と同じ部屋に入れられて、食事を選ぶこともできず、朝はほぼ毎食パンと果物と牛乳。昼と夜は冷たいお弁当。おかずもほとんど変わることはないようです。一定の時間しかその部屋から出られず、窓から外を見ることもできない。外出はもちろん、インターネットもできない。電話は固定電話だけで決められた時間しかかけられない。そのような環境に長い間置かれた人たちがわたしに言うことは、「早くここから出たい」。

わたしは「必ず出られるから心配しないで。『門を叩きなさい。そうすれば開けられる』と聖書にある。神様が必ず助けてくれる。やりたいことができないのは苦しい。でも、あなたが神様を信じて祈ること、あなたが人を助け、励ますこと、それを止めることは誰にもできません。だから、神様を信じて」と励まします。収容されている人がそこから出るためには、保証人をたてて仮放免という手続きをしなければならないのですが、「もし、保証人をする人が誰もいなかったら、わたしがやりますよ。神様がわたしをあなたのところに遣わしたのだから」と言いますと、「ありがとう」と涙を流す人もいます。そして、何人もの人がその不自由な生活から解放されていきました。原町田教会にやって来る外国籍の人たちのほとんどは、そういう人です。収容所から出るその日に立ち会ったことがありますが、皆「これで自由だ」と、とっても嬉しそうにします。

自由になることの喜びは、実際に何かの束縛から解かれたことのある人ならよくわかるでしょう。でももちろん、刑務所や収容所に入れられたことのない人でも、自由の喜びって身近に感じるはずです。皆さんも経験されたでしょう。高校生か大学生かわかりませんが、大きくなって大人になって、親元から離れた生活を始める。それも自由になることと言えます。でも「これで自由だ」なんて喜びながら生活を始めてみて、初めて自由の大変さがわかるんです。自由だからこそ、自分で自分を律しなければならないから。これまでは他の人から「これは駄目だよ」とか「こうしなさいよ」と言われてきたことを、今度は自分で自分に言い聞かせなければならない。自由なんだからそうしなくてもいいように思えますが、駄目と言われてきたことをやってみると、やっぱり痛い目にあう。キリスト教でいう自由も似ています。真理であるイエス様がみなさんを自由にしてくれましたが、その自由は何をしても良い、なんでもいいという自由ではない。「イエス・キリストこそ、最も大切です」と信じて、イエス・キリストに従う、その中での自由。それがキリスト者の自由です。

保護中: [教会員用] 2016年2月 主日礼拝音声

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2016年2月の写真

2月第一週のお昼ご飯は、鶏肉の味付きソテー、レンコンきんぴら、大根の味噌汁、ごはん、お漬物、甘味、でした。ちょうどよい味付けでとてもおいしくいただきました。入門講座に出席される方もお昼を召しあがってから講座スタート。共に食卓を囲める恵みを感謝します!

   

日本基督教団 原町田教会 : 当教会では、日本聖書協会発行『新共同訳聖書』、日本基督教団出版局発行『讃美歌21』を使用しています。