2015年12月24日 クリスマスイブ 燭火礼拝

原町田教会では、毎年12月24日クリスマスイブ19:30から燭火礼拝(キャンドルサービス)をささげています。
イエス様のご降誕を待ち望む夜、今年もたくさんの方が来てくださって、共に讃美し、祈り、聖書の朗読に耳をかたむけ、牧師を通して語られるメッセージを受け取りました。

礼拝の様子を音声でお届けします。(前半と、説教~後半、の二つに分けてあります。)

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プログラム

看板がつきました。

教会の正門横に、見つけていただきやすいように看板をつけました。
教会に向かっておられるあなたの目じるしになりますように。

2015年12月23日 子どもの教会クリスマス

今年もたくさんの子どもたちとそのご家族が、子どもの教会クリスマス礼拝・祝会に来てくれました。
小雨ぱらつく中でも子どもたちは元気いっぱい。中学生がみんなのろうそくに点火、小学生は聖書の朗読、ジュニア聖歌隊が練習を重ねた讃美、クリスマスのお話しをスクリーンに映し出すプロジェクターの操作は高校生。幼稚園の子どもたちは宮島牧師のお話しの一言一言に反応して、ほんとうにみんなが参加したクリスマスのお祝いのひとときとなりました。神様がこの子どもたちとともにいてくださることを実感し、感謝の思いをかみしめました。

2015年12月20日 クリスマス愛餐会

今年は12月20日が教会のクリスマス礼拝。クリスマス、おめでとうございます!!!
みなさまにも救い主イエスキリストの降誕を祝う本当のクリスマスの恵みが豊かにありますように。

このクリスマス、とても嬉しいことに原町田教会には4名の受洗者が与えられました。喜びの礼拝と、午後の愛餐会を、遠くから来てくださったお客様・子ども達・教会員みんなで守ることができました。愛餐会では心づくしのご馳走やデザートをいただいて、受洗された方へのインタビュー、ゲームなどで楽しい時をすごしました。

圧巻のデザートは100枚近くのクッキーで飾られた「原町田教会号」ケーキ。いちばん最後の写真をクリックすると動画でケーキの様子が見られます。
(開けなかった方は、こちらのリンクもお試しください。 MOV形式  M4V形式 )
(バックの曲は、原町田教会オリジナル、今年のバザーのテーマ讃美歌「ここはぼくらの祈りの家」です。)

2015年12月6日 ここがあなたの家

◆列王記上22章1〜17節
1 三年間、アラムとイスラエルの間には戦いがなかった。
2 三年目になって、ユダの王ヨシャファトがイスラエルの王のところに下って来た。
3 イスラエルの王は家臣たちに、「お前たちはラモト・ギレアドが我々のものであることを知っているであろう。我々は何もせずにいて、アラムの王の手からそれを奪い返せないままでいる」と言った。
4 それから、ヨシャファトに向かって、「わたしと共に行って、ラモト・ギレアドと戦っていただけませんか」と尋ねた。ヨシャファトはイスラエルの王に答えた。「わたしはあなたと一体、わたしの民はあなたの民と一体、わたしの馬はあなたの馬と一体です。」
5 しかし同時にヨシャファトはイスラエルの王に、「まず主の言葉を求めてください」と言った。
6 イスラエルの王は、約四百人の預言者を召集し、「わたしはラモト・ギレアドに行って戦いを挑むべきか、それとも控えるべきか」と問うた。彼らは、「攻め上ってください。主は、王の手にこれをお渡しになります」と答えた。
7 しかし、ヨシャファトが、「ここには、このほかに我々が尋ねることのできる主の預言者はいないのですか」と問うと、
8 イスラエルの王はヨシャファトに答えた。「もう一人、主の御旨を尋ねることのできる者がいます。しかし、彼はわたしに幸運を預言することがなく、災いばかり預言するので、わたしは彼を憎んでいます。イムラの子ミカヤという者です。」ヨシャファトは、「王よ、そのように言ってはなりません」といさめた。
9 そこでイスラエルの王は一人の宦官を呼び、「イムラの子ミカヤを急いで連れて来るように」と言った。
10 イスラエルの王はユダの王ヨシャファトと共に、サマリアの城門の入り口にある麦打ち場で、それぞれ正装して王座に着いていた。預言者たちは皆、その前に出て預言していた。
11 ケナアナの子ツィドキヤが数本の鉄の角を作って、「主はこう言われる。これをもってアラムを突き、殲滅せよ」と言うと、
12 他の預言者たちも皆同様に預言して、「ラモト・ギレアドに攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります」と言った。
13 ミカヤを呼びに行った使いの者は、ミカヤにこう言い含めた。「いいですか。預言者たちは口をそろえて、王に幸運を告げています。どうかあなたも、彼らと同じように語り、幸運を告げてください。」
14 ミカヤは、「主は生きておられる。主がわたしに言われる事をわたしは告げる」と言って、
15 王のもとに来た。王が、「ミカヤよ、我々はラモト・ギレアドに行って戦いを挑むべきか、それとも控えるべきか、どちらだ」と問うと、彼は、「攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります」と答えた。
16 そこで王が彼に、「何度誓わせたら、お前は主の名によって真実だけをわたしに告げるようになるのか」と言うと、
17 彼は答えた。「イスラエル人が皆、羊飼いのいない羊のように山々に散っているのをわたしは見ました。主は、『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよ』と言われました。」

 

神様の御言葉を他の人に伝えることは幸いです。あまり難しいことを勉強しなくても、御言葉が人を支え、励まし、救うのですから。何よりも福音の言葉をしっかりと受け止めたいですし、原町田教会に集う皆さんにも福音の言葉を心に留めてほしい。先週、イザヤ書の「良い知らせを伝える人の足はとっても美しい」という話しをましたが、実際に聖書に書かれた良い知らせのおかげでわたし自身も励まされますし、人に勇気を与えます。先日、若穂会の時にも、わたしはパウロさんが伝えた福音の言葉に多いに励まされました。パウロさんは言いました。「イエス・キリストを通して神様は、あなたに言っています。『あなたはわたしの子、わたしの愛する子どもだ。あなたは確かに祝福の中にある。神の恵みの中に入っている。だから、いろいろ心配もあるけど大丈夫』」。この言葉を聞いたキプロス島の人たちはパウロさんのところに主の言葉をもう一度聞くために集まったと聖書は伝えています。福音が語られるところに人は集まります。わたしたちはどうしてこの礼拝堂に集まっているのでしょうか。仲の良いお友達に会うためですか?聖書の勉強に来たのですか?違いますね。まず第一に喜びの知らせ、福音を聴きに来た。皆さんが福音を聴いて、励まされ、力づけられて、今度は皆さんがその福音を他の人に伝える。「あなたは神様に愛された大切な神様の子ども。あなたはイエス・キリストによってすでに祝福、恵みの中にあります」と伝えるのです。若穂会に出ていたある人が、それを聞いて、「この世の中は本当に悲しいこと、不安なことばかりと思ってしまいますが、わたしたちが聞くべき言葉は聖書の言葉なんですね」と言っていました。

今日の聖書に登場する北イスラエルのアハブ王は、不安なことで心がいっぱいだったようです。列王記のアハブさんの出来事は17章から今日のところまで記されていますが、ざっと読んだだけでも、彼の心が不安、心配、恐れでいっぱい、そんな様子が伝わってきます。アラムとの戦いに勝たなければならない。そのために是非、「わたしと一緒に戦ってくださいませんか」とアハブ王はユダの王ヨシャファトさんにお願いしています。それだけでなくて、アハブ王は400人もの預言者たちに「攻め上ってください」と言わせています。あまりにもたくさんの預言者が同じことを言うので、ヨシャファト王は「これはなんだか変だぞ」と感じたのでしょう。
わたしの父は、『日本人とユダヤ人』の著者・山本七平さんのある言葉をよく好んで使っていました。「ユダヤ人の全員一致の議決は無効」。わたしはそのことを今日の聖書を読んで思い出しました。400人もの預言者を召集して、そのみんなが2人の王に向かって同じように「攻め上ってください。主は、王の手にこれをお渡しになります」と言った。もし、この舞台が日本だったら「お前たちがそう言うなら勇気百倍、よし攻め上ろう」となっていたでしょうが、ヨシャファト王が聞くのです。「このほかに預言者はいないのですか?」。400人もの預言者全員が「攻め上ってください」と言ったのに対して、なんか変だなとヨシャファト王は感じた。さすがですね。「あいつは、わたしの幸せでなく悪いことばかりを預言するから、あいつのこと、大っ嫌いだ」というアハブ王に向かって「そんなことを言ってはいけません」と言うのです。
しぶしぶだったと思いますが、アハブ王は預言者ミカヤさんを呼んでこさせます。その間にも400人の預言者たちは「攻め上ってください」と言い続けます。ミカヤさんを呼びに行った人にも「いいですか。預言者たちは口をそろえて、王に幸運を告げています。どうかあなたも、彼らと同じように語り、幸運を告げてください」とまで言わせます。アハブ王は、人間の言葉で自分の不安や恐れを埋め合わせしようともがいているようにも見えます。自分がしていることに自信が持てないのでしょう。神様に祈ってどっちに進めば良いのですかと聞くのですが、「お前が進もうとしているのは間違っている」と預言者ミカヤさんから言われても、進む方向を変えようとしない。ミカヤさんは言います。「主は生きておられる。主がわたしに言われる事をわたしは告げる」。かっこいいですね。ミカヤさんは決して意地悪な気持ちで言っているのではありません。主が言われることにこそ、あなたの不安や恐れを取り除く希望がある。だから、しっかりと人間の言葉ではなく、主の言葉を聞きなさい。
わたしたちも、不安になることがあります。「このままだとだめかもしれない。何とかもっと良くしないとだめだ。今の自分は十分にできていない。これから何か悪くなるかもしれない」。そんな不安がじわりじわりと心の中に増えていく。あるいは、恐れを感じる。危険なことが起こって自分の身や家族の身に何か悪いことがあるかもしれない。嫌な夢を見たので恐くなったり、黒い猫が自分の前をすっと横切ったのを見て、「何か悪いことが起きるかも」と思ってしまう。この世の中にはそのような不安や恐れにつけ込んで商売をする人たちもいるくらいです。家にやってくるセールスマンは「シロアリが来たら大変ですよ」と言う。泥棒が来るのを防ぐためには防犯カメラが必要ですよと言う。「2人に1人がガンになる時代ですから、保険に入りましょう」とのお誘いの声もある。心配、不安は尽きません。家のこと、家族のこと、自分の健康のこと、将来のこと。それをひたすらにこれは人間の言葉だから無視して何もしないで大丈夫というわけにもいきません。ある程度の対策、予防はします。でも、事前にできることにも限りがあります。地震がくるかもしれない。ならば万全を期すために救急道具やヘルメット、軽食やハザードマップ、他に何が必要ですか?わたしが思いつくのはそれぐらいですが。地震だけではありませんね。いん石が落ちてくるかもしれない。都心に電車で行ったらテロがあるかもしれない。考え始めればきりがありません。だから、ある程度でいいのでしょう。それぞれが納得いく程度。この世が伝える言葉にもある程度耳を傾けながら、しかし、わたしは人間の言葉ではなく、主の言葉に信頼をおきます。主の言葉、御言葉は決してわたしたちを裏切りませんし、うそ偽りのない言葉だから御言葉にわたしの魂と体、そしてわたしの将来を委ねることができます。主なる神様は聖書を通して言われます。「恐れるな。わたしがあなたと共にいる。あなたは死ぬことはない。主は来て、あなたたちを救われる」。

アハブ王でも、きっと主なる神様に頼りたいという気持ちがあったと思います。だから、ミカヤさんに「我々はラモト・ギレアドに戦いを挑むべきか、それとも控えるべきか、どちらだ」と聞いたときに、ミカヤさんが言った言葉を「これは主の言葉でなく、皮肉の言葉だ」と見抜いたのです。ミカヤさんは「どうぞ、どうぞ、攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります」と言いました。でも、アハブ王はミカヤさんが主の言葉でなく、嘘を言ったのだとわかったので、「お前は主の名によって真実だけをわたしに告げるようになるのか」と怒りました。
主なる神様の言葉こそ、わたしたちを助け、救います。でも、時に主の言葉はわたしたちがその時に望んでいるような言葉ではない場合もあります。アハブ王の場合はまさにそうでした。皆さんにもあるでしょう。特にイエス様が言われた言葉を聞いて、それは難しいですよと思ったこと。
わたしもあります。預言者ミカヤさんのように相手が嫌がることを「これは神様の言葉です」なんてなかなか言えない。たくさんの人が「そうだ。そうだ。攻め上ってください」と言っている時に、「それは主の御心と違うんじゃないかな」と胸の内で思って、口ではっきりと「わたしはそうは思いません」と言うことができない。ましてや、「神様がこう言っています」、なんて言えない。でも、それは悪のささやきです。人に嫌われるかもしれなから言わないとか、人に好かれるからこう言おうという内なる声は、悪のささやきです。その場の雰囲気を感じて、こんなことを言ったらこの場の雰囲気が壊れてしまうだろうと察して、言うべきだと思っていても言わなかった、言えなかった。そんなこと、皆さんは経験していませんか。自分が正しいかどうかもわからないから、言わなくて良かったなどと後から自分を慰めること、ありませんか。日本に暮らしていると、黙っていた方が敵を作らないからいい、そんな雰囲気ができあがっているようにも感じます。

預言者ミカヤさんだから、言えたんだ。彼が特別でわたしは違うとも言えるかもしれません。でも、御言葉こそが救いだ。人間の言葉でなく、御言葉こそ、信頼できる言葉と信じるなら、たとえたくさんの人が「そうだ、そうだ、攻め上れ」と言っている時でも、「彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせましょう」と伝えることができるのです。御言葉がだけすべての人を支え、励まし、救うのです。

皆さんも御言葉を預かっていますから、ある意味では預言者です。未来に起きることを伝えるのではありません。預言者という漢字をみてください。言葉を預かる者ですから、人を支え、人を励まし、時には進むべき方向を変える御言葉を預かり、それを伝えるのです。皆さんの多くは御言葉を預かってはいても、それを伝えるのはなかなか難しい、と思っているのではありませんか。伝えても何も変わらない。そう思ってしまうかもしれません。実際、預言者ミカヤさんの場合も、伝えたのですが、結局、アハブ王はそれを無視して戦いに出て行きます。何も変わらなかったとも言えます。でも、神様がミカヤさんを通して「戦いに出て行った人たちを家に帰らせなさい」と言われたことは、武器をもたず、戦わないでも勝利されたイエス・キリストによって実現しました。神様が語られた御言葉が、すべての人を支え、励まし、救います。道に迷っている人、羊飼いのいない羊のように迷っていたわたしたちは真の羊飼いと出会い、安心しました。ですから、まだ羊飼いを知らない人に伝えましょう。「イエス様こそ、あなたの羊飼いですよ。ここがあなたの本当の家ですよ」って。

2015年12月13日 讃美歌練習

礼拝後の讃美歌練習(動画)
クリスマス讃美礼拝のソリスト 川瀬幹比虎さんに讃美歌練習をご指導いただきました。
讃美歌21 259番「いそぎ来たれ、主にある民」

保護中: [教会員用] 2015年12月 主日礼拝音声

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2015年12月6日の写真

12月第一週のお昼ごはんは、美味しい美味しい煮込みハンバーグ。美味しくてほっぺたが落ちそうでした。
お食事の後は、クリスマス市でお買い物。クリスマス用品、パウンドケーキやクッキーが並びました。

2016年もやります ゴスペルワークショップ

 2016年も、ゴスペルワークショップ継続決定!プロのゴスペルシンガー・Mannaさんに指導していただきます。

毎月一回、土曜日開催  参加費 1回 500円です。
1月23日(土)17:00-18:30
2月20日(土)17:00-18:30
3月19日(土)17:00-18:30

 

♪ゴスペルソングを歌好きな仲間と一緒に楽しく歌いましょう♪

 

 

 

 

11月28日のコンサートでは仲間たちと一緒に歌いました、あなたも次回はこの仲間に!

   

日本基督教団 原町田教会 : 当教会では、日本聖書協会発行『新共同訳聖書』、日本基督教団出版局発行『讃美歌21』を使用しています。