祈祷室に、履物のまま入れます

これまで、礼拝堂後ろにある祈祷室へは、履物を脱いでお入りいただいていましたが、昨年末に床カーペットを張り替えて、履物のまま(土足で)入っていただくようにいたしました。オルガンや棚の場所も変えて、少し広く感じられるようになりました。これからもどうぞご利用ください。

 

真の出会い 2015年1月4日

ルカによる福音書 2章22節~38節

シメオンさんには神様から、とても大切な使命が与えられていました。それは、「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない」とのお告げです。シメオンさんは、ある程度の年月、メシア、救い主を待っていたようです。彼の年齢を聖書は伝えていませんが、彼がイエス様と出会い、生後40日のイエス様を腕に抱いて言った言葉から彼がかなり高齢だったことがわかります。29~30節「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」。

「この僕を安らかに去らせてくださる」。彼は、自分がようやく死ねる時が来たと言ったのです。シメオンさんには、メシア、救い主が来るのを待ち、この方が救い主だと伝える使命がはっきりと与えられていました。けれども、彼にとって長いと感じる間、それを待ち続ける中で、自分の使命はなんなのかと揺れ動くことがあったのでしょう。「神様はいつになったら、約束を果たすのか、わからない」と思ったり、また、「信じて待っていても何も意味がない」とも思ったこともあったかもしれません。「今こそ、あなたはこの僕を安らかに去らせてくださいます」との彼の言葉の中には、そのような思いが見えてきます。

聖書には、シメオンさんが神様の霊に導かれて、イエス様と出会ったと伝えています。出会いという出来事は本当に不思議です。思いもしなかったところで思いもしなかった人と出会うこともあれば、今日のこの日は、この人と出会うためにあったと言える出会いもあります。シメオンさんと赤ちゃんイエス様との出会いも本人たちが計画したのでもなく、彼らが努力したためでもありません。そこには神様の導きがあったのです。

マリアさんとシメオンさんとの出会いは、彼女にとっては出会いたくない出会いだったかもしれません。なぜならば、シメオンさんはマリアさんに厳しいことをこのように伝えたからです。「あなたはいつか、こころを剣で刺しつらぬかれるような辛い目にあいますよ」。もし、皆さんが初めて会った人にこのように言われたら、こんな人に会いたくなかったと思うことでしょう。マリアさんはこのように言われて、何を思い、この言葉をどう理解したのかはわかりません。聖書は何も語っていないからです。でも、マリアさんとシメオンさんとの出会いは嫌な思いをさせるだけではありませんでした。それは、シメオンさんが、ヨセフさんとマリアさんを祝福しているからです。シメオンさんからすれば、あの厳しく聞こえる言葉も祝福の言葉の一つだったかもしれません。シメオンさんは祝福した後にマリアさんに赤ちゃんイエス様が救い主として何をされるのかを実に簡潔に伝えました。彼は、こう言いました。34節「ごらんなさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められています」。今は、まだ生後40日の首もすわっていないような小さい赤ちゃんイエス様が、権力ある者をその座から引き下ろし、身分の引く者を高く上げるがゆえに、反対を受けるしるしとして定められるのです。シメオンさんは、そのイエス様の歩みがすべての人のための救いとなると神様をほめたたえています。

様々な出会いがあります。その出会いによって一喜一憂するわたしたちです。いつも、与えられた出会いを喜ぶことは正直、難しいと思います。出会いを全て感謝することも難しいです。シメオンさんがマリアさんに言ったような、どうしてそんなこと言うの、言ってほしくないことを言われる出会いもあります。けれども、いつでもどんなときであってもわたしたちをほほえませてくれる出会いがあります。疲れた時に会いたくなる出会いです。素敵な人や何かに出会って嬉しくなった時にその喜びを伝えたくなる出会いもあります。いつでも、どんな時であってもその方はあなたがやって来るのを待っています。赤ちゃんイエス様は、生後40日の幼子ですから、どのような人であっても決して「ここに来ないでください」と言って拒むことはありません。シメオンさんのような年を重ねたひとであっても、若い青年であっても、イエス様はあなたのその腕に抱かれることを待っておられます。イエス様との出会いは、万民のために整えられた救いだと聖書は伝えるとおりです。

イエス様との出会いはわたしたちに生きる目的、生きる希望を与えてくれます。アンナという預言者は、84歳と非常に年をとった人でした。彼女はイエス様との出会った後、「わが使命これにあり」とばかりにエルサレムの人たちに赤ちゃんイエス様のことを語り始めたのです。イエス様と出会うことは、決して難しいことではありません。イエス様は誰にでも、その腕に抱かれることを喜ばれる幼子としてあなたが来るのを待っておられるからです。イエス様との出会いは、どんな人にも開かれています。力ある日とにも、弱さを抱えた人にも、元気な人にも、病の中にある人にも、聖書を読むのが苦手な人にも、得意な人にも。イエス様は決してやって来る人を拒みません。

イエス様と出会い、イエス様を受け入れた人は、自分のことから解放され、神様がわたしたちにしてくださったことをほめたたえ、賛美するようになっていきます。シメオンさんは、赤ちゃんイエス様を腕に抱きながら、神様をたたえました。アンナさんもイエス様に近づいて行き、神様を賛美しました。神様がイエス様をすべての人の救いのためにこの世に送ってくださったその御業によってイエス様と出会った人は、より良く生き、より良く死んでいくことができるようになるのです。なぜならば、イエス様との出会いが、わたしたちに与えられている自分の使命を明確にするからです。

自分は何のために生きているのか。自分は何を目標に生きるのか。それらは、自分の努力で見つけるのではなく、命を与えられた神様がイエス様によってわたしたちにあたえてくださるものなのです。イエス様と出会ったシメオンさんは、自らの使命を充分に果たしたという満足と喜びから、「この僕を安らかに去らせてくださいます」と言っています。彼の使命はメシアに会って、その家族を祝福し、その方がメシアだと伝えることでした。わたしたちもシメオンさんのように言ってこの地上での最後の時を迎えたいものです。人生という走るべきコースを充分に走りきった、生ききったランナーのように神様を賛美しながらこの世を去るのです。

わたしたちは年齢や性別によって自分のできる範囲を限ってしまうことがあります。世の中がそのように言っているのでそれを鵜呑みにしてしまうのです。しかし、神様は年齢や性別などではなく、その人の賜物に従って、使命を与えてくださいます。いくら年をとっていても、神様は生きる目的を与えられるのです。アンナさんはきっと祈ることや話すことが上手だったのでしょう。非常に歳をとったアンナさんに神様は幼子イエス様のことを話すという素敵な使命を与えられたのです。

神様はイエス様と出会う道をわたしたちに備えてくださいました。そのイエス様から始まる道を歩人は、確かにあのシメオンさんのように「この僕を安らかに去らせてくださいます」と言える、主にある充実した人生を送ることがゆるされているのです。自分の使命がはっきりとしている人生程豊かな恵みはありません。自分はこれを大切にして生きていると神様から与えられた使命を見いだす道にわたしたちの救いはあります。

保護中: [教会員用] 2015年1月 主日礼拝音声

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当ぺージでの引用聖書:日本聖書協会発行『新共同訳聖書』 (c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988