2014年 クリスマス・イブ燭火礼拝

『クリスマス・イブ 燭火礼拝にようこそ』  原町田教会  宮島牧人牧師

1人のドイツ人司教(ヨハンネス・ハンゼルマン)が言っています。
「わたしたちの人生は、飼い葉桶の幼子から始まる。」
このクリスマスに、飼い葉桶に寝かされた幼子との真の出会いをすることから、わたしたちの「真の人としての生き方」(人生)が始まるのです。どうぞ、今日幼子と出会って下さい。幼子はあなたに抱かれることを望んでいます。幼子はあなたに頬ずりされることを喜びます。あなたが出会いを求めて近づくことを幼子は待っておられます。
救い主イエス様と生きる新しい人生にようこそ!!

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礼拝の音声を、3つに分けて掲載しています。

※おわび 前奏・招詞と、231番「久しく待ちにし」の第一節は音声がございません、ご了承下さい。

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前奏
招詞 ヨハネの手紙一4章9節
讃美 231番 「久しく待ちにし」 (音声はこの讃美の第ニ節から始まります)
祈祷
(消灯・キャンドル点火)
讃美 「やわらかく この胸に」
讃美 262番 「聞け、天使の歌」
聖書 イザヤ書9章1~6節
讃美 268番 「朝日は昇りて」
聖書 イザヤ書60章1~7節
讃美 「天なる神には」
聖書 ルカによる福音書1章26~38節
讃美 「貧しい人の夜」
讃美 263番 「あら野のはてに」
聖書 ルカによる福音書1章46~56節
讃美 260番 「いざ歌え」
聖書 ルカによる福音書2章1~7節
讃美 「幼子が飼い葉桶」
聖書 ルカによる福音書2章8~20節
讃美 258番 「まきびとひつじを」

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説教 「聖なる夜に」   宮島牧師
祈祷

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讃美 264番 「きよしこの夜」
献金
祈祷 宮島牧師
讃美 261番 「もろびとこぞりて」
祝祷 宮島牧師
後奏 「アーメン2014」

2014年 クリスマス

クリスマスおめでとうございます
たくさんの方々とクリスマス礼拝でご一緒にお祝いすることができてとても嬉しく、感謝でいっぱいです。

23日は子どもの教会クリスマス(午後2時-4時)、24日は燭火礼拝(キャンドルサービス午後7:30から)です。
どうぞおいでくださいね。

礼拝の後は、祝会で共に食卓を囲みました。

お祈りありがとうございます

 

日本キリスト教団出版局の月刊誌「信徒の友」の『日毎の糧』欄に原町田教会を掲載していただいてから、たくさんの教会からお祈り、励ましのお便りをいただきました。感謝です、本当にありがとうございます。

私たち原町田教会も、互いに祈り合っていくものにされたい、との思いを新たにしました。

とこしえの契約を必ず果たす 2014年12月7日

イザヤ書55章1~11節
◆御言葉の力
1 渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい。穀物を求めて、食べよ。来て、銀を払うことなく穀物を求め 価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。
2 なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い 飢えを満たさぬもののために労するのか。わたしに聞き従えば 良いものを食べることができる。あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。
3 耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。聞き従って、魂に命を得よ。わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに。
4 見よ かつてわたしは彼を立てて諸国民への証人とし 諸国民の指導者、統治者とした。
5 今、あなたは知らなかった国に呼びかける。あなたを知らなかった国は あなたのもとに馳せ参じるであろう。あなたの神である主 あなたに輝きを与えられる イスラエルの聖なる神のゆえに。
6 主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。
7 神に逆らう者はその道を離れ 悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。わたしたちの神に立ち帰るならば 豊かに赦してくださる。
8 わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり わたしの道はあなたたちの道と異なると 主は言われる。
9 天が地を高く超えているように わたしの道は、あなたたちの道を わたしの思いは あなたたちの思いを、高く超えている。
10 雨も雪も、ひとたび天から降れば むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ 種蒔く人には種を与え 食べる人には糧を与える。
11 そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ わたしが与えた使命を必ず果たす。

イスラエルの人たちの多くは、バビロン帝国との戦争に破れて、はるか遠いバビロンの地に連れて行かれました。いわゆる、バビロン捕囚という出来事で、それは紀元前587年に起きました。

イスラエルの人たちは、50年近くもバビロンの地で生活をしていましたので、彼らの生活の基盤はすっかりバビロンの地にありました。捕囚といっても牢屋に入れられているわけではなく、ある地域を割り当てられ、イスラエルにいたときと同じように生活していたのです。中には、商売する人もいたでしょうし、モノを作る人もいたでしょう。子どもが生まれ、孫も生まれました。そんなある日、突然ペルシアがバビロンに勝利し、捕囚されたイスラエルの人たちは、「故郷に帰っても良い」という布告を聞いたのです。そこで誰かがこんなことを言いました。「預言者イザヤさんは、長い間いつか救い主が来て、わたしたちをバビロンの地から祖国に連れ返してくれると言っていたけど、どうもあのクロス王は違ったようだね。だったら、祖国に帰るよりもこっちにいて、これまでどおり、いやもっと豊かな生活をしよう」。50年近くも放っておかれ、荒れ果てたところへ行って、ゼロから作り始めるよりは、今ある生活の方がよっぽど良いと思う人がいたのです。そこで神様はイザヤさんを通して言われました。55章1節「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい。穀物を求めて、食べよ。来て、銀を払うことなく穀物を求め、価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ」。お金があってもなくても神様は、日々の生活に必要な穀物、ぶどう酒や乳を与えることができると彼らに言われるのです。

2節「なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い、飢えを満たさぬもののために労するのか。わたしに聞き従えば、良い物を食べることができる。あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう」。どうして、あなたたちは、お腹を満たす食べ物ではないこの世の富やお金のためにバビロンに残ろうとするのかと問われます。神様に聞き従うことこそ、お腹を満たし、何よりも魂を豊かにすることだと言われます。3節の前半にはこうあります。「耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。聞き従って、魂に命を得よ」。神様のもとに来て、御言葉に聞き従うこと。それがわたしたちの魂に命を与えることなのです。わたしたちも大きくはなくても、小さな出バビロンのような決断を繰返し迫られています。日曜日の礼拝からわたしたち一人ひとりはこの世へと遣わされます。いったんこの世という大海原に自分1人の小舟で乗り出しますと時にタイタニック号のような豪華客船に乗りませんかと誘われたり、原町田号なんかに乗船しないで、もっともうかる大型の船に乗らないかとも誘われます。あるいは、たくさんの大砲があり、戦闘機が離着陸できる強くて頼りがいのある空母から「こっちにこないか」と声をかけられたりします。「いつでも船を乗り換えられるよ」という誘惑の声をこの世で1人の舟に乗っている時に聞きます。でも、聖書はわたしたちに言うのです。それらは空しいものであり、あなたたちの魂を豊かにはしない。

神様は、大変な苦労が待っているかもしれないけれど、魂の豊かさを信じてバビロンを出て行く彼らに、契約を結ばれると言われます。何度も何度も神様からの約束を守れず、つまり契約違反をしてきたイスラエルの人たちと再び神様は契約を結ぶと言われます。旧約聖書で繰り返されているその様子は、何か、考えてみますと、日曜日に魂を満たされ、この世に船出したわたしたち一人ひとりが御心に十分に応えられないで、再び教会に帰ってくる姿に似ています。御言葉を頂き、力づけられ、その御心に聞き従おうとその時は思うのですが、この世の荒波を受けて心がくじけたり、時に他の大きな船の方が良いと思い、それに乗ってしまったり、心の中で形あるものがいいなと思ってしまうわたしたちです。そして、日曜日の礼拝に帰ってきて、一週間の歩みのことを神様の前で悔いるのです。それは何かイスラルの人たちのように同じことを繰り返して、わたしたちは何も変わっていないと思ってしまうかもしれません。けれども神様はそんなわたしたちであっても「お前は契約違反だ」と言って契約を打ち切るどころか、神様の方から再び契約を結びましょうと言ってくださるのです。

何度、神様の期待を裏切ったのか。何度、約束を破ったのか、数知れないわたしたちです。普通なら、即、契約打ち切りです。けれども、今度は永遠の契約を結ぼうと神様は言ってくださるのです。再び救いの契約が結ばれるこの礼拝の時にこそ、神様はわたしたちの近くにおられます。ですから、「わたしたちは礼拝で主を訪ね求めるのです」。6節「主を訪ね求めよ。見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに」。いくら失敗してもそればかりを気にしていなくてもいいのです。主なる神様はわたしたちが疲れ果ててしまっても、ぼろぼろになっていても、この原町田号に帰ってくるわたしたちに「おかえり。よく帰ってきたね」と温かく迎えてくださいます。7節「神に逆らう者はその道を離れ、悪を行なう者はそのたくらみを捨てよ。主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。わたしたちの神に立ち帰るならば、豊かに赦してくださる」。ただ、神様のところにあの放蕩息子のように帰ってくればいいのです。

今日の聖書箇所の少し前のイザヤ書53章に、苦難の僕のことが記されています。そこには、苦難の僕が、わたしたちの病を担い、その方がわたしたちの痛みを背負ってくださる。わたしたちの背きのためにその方が苦しまれ、咎のために打ち砕かれる方。その方の苦しみによってわたしたちに平和が与えられると記されています。今日の箇所、55章で結ばれた「とこしえの契約」は、53章とつながっていて、わたしたちの苦しみを負って一人ひとりに平和を与える苦難の僕によってとこしえの契約は成し遂げられるのだと理解します。

神様の契約を繰返し破ってしまうわたしたち、毎週のように「罪を犯してしまったわたしたちをゆるしてください」と祈るわたしたち。そんなわたしたちに向かって神様は「わたしのところに帰ってきなさい」と憐れみと豊かな赦しを伝えます。何々ができました。何々ができなかった、というのではなく、ただ、ただ、神様のところに帰っていくだけでいいのです。神様は豊かに赦してくださいます。そして、それ以上に嬉しいのは、とこしえの契約を結んでくださり、それを苦難の僕として成し遂げてくださると約束されたのです。

 

2014年 待降節第三主日

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保護中: [教会員用] 2014年12月 主日礼拝音声

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洗礼を受けようと思った理由

生きる意味が見出せず、何故生きていなくてはならないのだろう、と感じていました。「善く生きよう」としても、自分の不完全さに絶望するばかりです。更には、善悪とは何であるのかも、よく分からなくなり、全てが相対するだけで何一つ絶対というものが無くなっていました。完全に迷い、虚しさの中で「それでも愛だけは無駄ではない」と何処かで信じ、「愛だけは間違わない」というかすかな希望を持って、必要に駆られる様にして真実を求めました。その時、私の心は真暗でした。魂が渇いて、枯れているように感じ、自分の存在の無意味性に押されて、自分のことすら愛する気になれませんでした。

心の中で、二つの両端にひっぱられる様にして、惰性によって「人のいう幸せ」を持ち、自分をごまかして生きたい、という思いと、それに耐えられないから真実を知りたい、という思いの間で手さぐりで手にしたのが聖書だった、ということになると思います。

真実に出会った時、私は一度死刑になり、イエス様の命の中に生まれ変る必要がありました。既に死んでいた命を与えられたのですから、これからは「私の」人生ではありません。洗礼は、そのことの証しでした。

光の中で自分の姿を見ることは、辛いことでもありましたが、目をそらすことなく、新しい命の中に生きていきたいと思います。

(20代・女性)

   

日本基督教団 原町田教会 : 当教会では、日本聖書協会発行『新共同訳聖書』、日本基督教団出版局発行『讃美歌21』を使用しています。