2014年7月の写真

今ここで アモスから聴く  2014年7月6日

アモス書7章10-17節
◆アモスと祭司アマツヤ
7:10 ベテルの祭司アマツヤは、イスラエルの王ヤロブアムに人を遣わして言った。「イスラエルの家の真ん中で、アモスがあなたに背きました。この国は彼のすべての言葉に耐えられません。
7:11 アモスはこう言っています。『ヤロブアムは剣で殺される。イスラエルは、必ず捕らえられて/その土地から連れ去られる。』」
7:12 アマツヤはアモスに言った。「先見者よ、行け。ユダの国へ逃れ、そこで糧を得よ。そこで預言するがよい。
7:13 だが、ベテルでは二度と預言するな。ここは王の聖所、王国の神殿だから。」
7:14 アモスは答えてアマツヤに言った。「わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない。わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ。
7:15 主は家畜の群れを追っているところから、わたしを取り、『行って、わが民イスラエルに預言せよ』と言われた。
7:16 今、主の言葉を聞け。あなたは、『イスラエルに向かって預言するな、イサクの家に向かってたわごとを言うな』と言う。
7:17 それゆえ、主はこう言われる。お前の妻は町の中で遊女となり/息子、娘らは剣に倒れ/土地は測り縄で分けられ/お前は汚れた土地で死ぬ。イスラエルは、必ず捕らえられて/その土地から連れ去られる。」

 預言者アモスさんは、今からおよそ2800年前の紀元前750年頃に、北イスラエルで活動した人です。当時の北イスラエルの王様は、ヤロブアム2世で、北イスラエルは経済的に繁栄していたと言われています。預言者アモスさんが、厳しい神様の言葉をヤロブアム王に語るのは、経済的な繁栄と深く関係していました。それはアモス書全体を読みますとわかってきますが、そこから見えてくるのは、ある一部の人たちが、とても贅沢をしていること、そして、それが貧しい人たちの生活をますます苦しくさせていることです。その北イスラエルの現状を見たアモスさんは、贅沢をしている人たちに厳しい神様の言葉をぶつけているのです。今日の聖書個所でもアモスさんの厳しい言葉が記されています。7章11節「ヤロブアムは剣で殺される。イスラエルはその土地から連れ去られる」。わたしたちは、聖書の御言葉を聞いていて、特にこのような裁きの言葉を聞きますとそれを自分に語られたものとして受け止めたくないと思います。しかし、この厳しい預言者の言葉をわたしたちは自分には関係ないことだと聞き流すことができるのでしょうか?

 日本で暮らすわたしたちは、GDPという一つのものさしで見れば、アメリカ、中国に次ぐ世界3位であります。この日本がどのように経済的に豊かになったか。特に戦後「東洋の奇跡」と呼ばれる程の経済発展を成し遂げたその背後には、何があったのかを今一度、立ち止まって問いなおすのです。なぜならば、アモスさんが経済的豊かになったある一部の人たちに神様の怒りを伝え、その神様の審きの言葉がわたしたち日本の豊かさと何か関係しているかもしれないからです。

 日本は第二次世界大戦後、何もない状態から稀にみる経済発展を遂げてきました。その発展の背景には、並々ならぬたくさんの人たちの努力と苦労がありました。ただ、その輝かしい発展の光の後ろには、影(かげ)の部分もありました。経済的な発展の影には、例えば水俣病や新潟イタイイタイ病などの公害があり、また海、山、川などが壊されていく自然破壊もあります。また、朝鮮戦争やベトナム戦争という2つの戦争によって日本は大きく経済発展したのですが、そこには深い闇と濃くて広い影がありました。その他にも、とにかく経済発展することが最大の目的となることで人や他の生き物など命ある存在が、ただ数字で数えらる「もの」のように扱われていくことも影の部分と言えるでしょう。経済発展の光の後ろには、いろいろな影が広く長く濃く伸びているのです。

 わたしたちは、自分がその光の中にいる時には、そこに影があることすら気づいていないかもしません。あるいは影があることに気づいても見て見ぬ振りをするかもしれません。あえて自分が光から出て行って、影の中に入っていく人も少ないでしょう。ただ、確かなことは、光があればそこには必ず影が生まれてくる。そして、光と影の部分はどこかでつながっているということです。
 
 もし、わたしたちがこのアモス書を自分に語りかけられた神様の言葉として聴くとしたら、これはあまりにも厳しいものだと思うでしょう。できれば、そのように読みたくないですし、これは昔の話で今の自分とは直接関係ないものと聴きたくないのです。けれども、神様はアモス書を経済的に発展し、今なおも発展しようとするここ日本に生きるわたしたちに語るのです。わたしたちの多くは、正直に言えば、光の中にいたいと思います。スポットライトでなくても、せめて蛍光灯ぐらいでいいから、光の中にいたいと願います。あるいはもし、自分が影の中にいると思っていたら、その影から抜け出して、少しでも明るい方に行きたいのです。そして、光の中にいれば、影からできるだけ離れてそれを見たくないと思うのです。けれども、神様は預言者アモスさんを通してわたしたちに「影を見なさい」と言われるのです。影は光とつながっているのだから、影のことを無視し、影のことを大切にしないならば、あなた自身が死ぬことになるからなのです。

 神様はヤロブアム王やイスラエルの人たちを滅ぼしたいから、このように厳しく言われるのではありません。影を無視し続けるならば、滅んでしまう。だから、このように厳しく言われるのです。影の中に生きざるを得ない人たちを見ないで、関わらないでおこうとしていますと、その結果、光の中にいる自分自身をも傷つけることになるのです。神様は、他の人が苦しんでいるのを無視するような人として、わたしたちをおつくりになったのではないのです。

 経済的発展の影に目を向け、その中に生きざるを得ない人たちとつながること、それは辛く厳しいことでしょう。けれども、勇気をもって影の中に目を向けてまいりましょう。なぜならば、経済発展の影の中にいる人たちとつがることでその影が少なくなるからです。そんなことをしても何の得することはない。影をなくそう、そんなことをすれば、自分がいま持っているものまでも失ってしまう。そのような声も聞こえてきます。わたしたちが影に入って行くことでわたしたちは何かを失うのでしょうか。光の中にいる者が、影の中に目を向け、影の中に入ることによって失うものは、自分で守ってきた光だけです。自分で勝ち得たと思っている光を失ったその先に、経済的豊かさの光とは比べものにならない神様が約束されている光が待っている、聖書はそのように語ります。聖書はその光のことを神の国と呼んでいます。影のない神の国が来ることを祈りつつ、今この時代にある影をなくす一歩を踏み出しましょう。

保護中: [教会員用] 2014年7月 主日礼拝音声

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2014年6月29日 子どもの教会

今日は、小学生の男の子たちが聖書トレーディングカードゲーム「バイブルプレイヤーズ」に挑戦。
大学生・高校生のお兄さんが遊び方を教えに来てくれました。イエス様の弟子達のカードに、お祈りのカードをどんどん重ねていきます。
子どもたちは飲み込みがはやく、すぐに楽しんで遊んでいました。

   

日本基督教団 原町田教会 : 当教会では、日本聖書協会発行『新共同訳聖書』、日本基督教団出版局発行『讃美歌21』を使用しています。