2014年4月20日 Happy Easter!

少し寒い日曜日でしたが、子どもたちは元気一杯、53名もイースター礼拝に来てくれました。
午後はお食事を持ち寄っての愛餐会。今年はちょっとむずかしめのクイズで頭の体操をしました。

2014年4月 Easter番外編 ゆでたまご

毎年恒例、子どもの教会のイースターの朝食にはゆでたまごをいただきます。
きれいなフィルムでおめかししていますね!

さて、どうやってフィルムをつけているのか、短い動画ですがどうぞご覧下さい。

立ち上がる 〜先立つ主がおられるから〜 2014年4月13日

マルコによる福音書14章32〜42節
◆ゲツセマネで祈る
14:32 一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。
14:33 そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、
14:34 彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」
14:35 少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、
14:36 こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」
14:37 それから、戻って御覧になると、弟子たちは眠っていたので、ペトロに言われた。「シモン、眠っているのか。わずか一時も目を覚ましていられなかったのか。
14:38 誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」
14:39 更に、向こうへ行って、同じ言葉で祈られた。
14:40 再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。彼らは、イエスにどう言えばよいのか、分からなかった。
14:41 イエスは三度目に戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。
14:42 立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」

詩編 24編1〜10節
24:1 【ダビデの詩。賛歌。】地とそこに満ちるもの/世界とそこに住むものは、主のもの。
24:2 主は、大海の上に地の基を置き/潮の流れの上に世界を築かれた。
24:3 どのような人が、主の山に上り/聖所に立つことができるのか。
24:4 それは、潔白な手と清い心をもつ人。むなしいものに魂を奪われることなく/欺くものによって誓うことをしない人。
24:5 主はそのような人を祝福し/救いの神は恵みをお与えになる。
24:6 それは主を求める人/ヤコブの神よ、御顔を尋ね求める人。〔セラ
24:7 城門よ、頭を上げよ/とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる。
24:8 栄光に輝く王とは誰か。強く雄々しい主、雄々しく戦われる主。
24:9 城門よ、頭を上げよ/とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる。
24:10 栄光に輝く王とは誰か。万軍の主、主こそ栄光に輝く王。

 先日、わたしの友人がボソッとこのように言いました。「原発事故で被害にあっている人のことをテレビでやると視聴率が下がるそうですよ」。わたしは、それがどうして下がるのか、はっきりした理由はわかりません。ただ、それを聞いて思うのですが、苦しんでいる人を見るのは、もういい。自分も苦しいのだから、これ以上、大変な人のことは知りたくもないし、見たくもない。そう感じる人が今、増えているのではないか、そう思うのです。それは、まるですぐ近くで苦しみもだえ、祈り続けるイエス様に気づかずに寝ていた弟子たちに似ています。この3人の弟子たちは、苦しむイエス様を見たくも知りたくもなかったから、目を閉ざしていたのかもしれません。
 
 正直なところ、苦しみ、もだえる人を見たいとは思いません。好んでそれを見るのは、おかしなことです。しかし、それは一般的なことで、自分にとって大切な人がそうだったら、違う対応をするはずです。その人の近くに来て、何か自分にできることはないだろうかと、その人に聞き、考え、祈ることもできるでしょう。どうしてなのでしょうか。イエス様の弟子たちは、尊敬するイエス様がもだえながら祈っているのに目を閉じてしまったのです。その方が尊敬する人だから、よけいにそのような姿を見たくなかったのかもしれません。親しい人、尊敬する人、大切な人が自分のすぐ近くで苦しみもだえるのに、ただ一緒にいるだけでは心苦しくなります。どうして、神様はこんな目にあわせるのか。どうしてこの人だけが苦しまねばならないのか。答えのない問いに押しつぶされそうになります。わたしたちの多くは、そのような答えのない問いを前にして自分が潰されてしまう前に、そこから目をそらすか、目を閉じて自分を守ります。目を開いて見続けていたら、心がポッキリ折れてしまうのではないか、と危機を感じ取り、目を閉じるのです。
 
 イエス様は、ひどく恐れもだえていながらも、自分の願いをはっきりと求め、そして、自分が願うことでなく、「御心に適うことが行われますように」と祈りました。イエス様は39節にあるとおり、同じ言葉で何度も祈られました。繰返し自分の願いと、しかし、それだけでなく、「御心に適うことが行われますように」と祈ったのです。わたしは、繰返し祈られたイエス様のこの祈りが、苦しむわたしたちの声にならないほどのうめきを代弁してくださっていると思うのです。イエス様は繰返し祈られました。わたしたちに代わって、わたしたちに先立ってイエス様は今も繰り返し祈っていてくださるのです。今も、同じ言葉でわたしたちのために祈ってくださっている。「アッバ、父よ。あなたは何でもおできになります。この杯をこの人から取りのけてください。しかし、あなたの御心が行われますように」。

 わたしたちに先立って、わたしたちに代わって祈ってくださるイエス様がおられます。わたしたちは、「どうして、わたしがこんなに苦しまなければならないのか」という心の叫びをイエス様に委ねることがゆるされていると信じます。それは、幸いなことです。抱えきれない荷物、自分では背負えない重荷をイエス様が共に担いでくださるのですから、それは幸いなことです。

 イエス様は、3度目に弟子たちのところに戻ってこられた時、自分の願いではなく、神様の御心に自分を委ね切ったそんな確かさをもっておられました。もう、恐れたりおびえたり、もだえたりはしていませんでした。イエス様は言われました。「もうこれでいい。時が来た」。自分が定めたかった時でなく、神様の時をイエス様は受け入れたのだと思うのです。そのようなイエス様、自分の苦しみを取りのけてくださいと願いながらも、御心を受け入れたイエス様だからこそ、わたしたちの苦しみ、痛みを一緒に担ってくださるのです。そういうイエス様だから、わたしたちはこの重荷を委ねることができるのです。

 「どうしてわたしの生活は、こんなに苦しいのか」という声、「わたしの人生ばかり、どうして悪いことが降り掛かって来るの」という声もあります。その人がどれほど近い人でも、遠い人でもその人自身の苦しみをわたしたちは代わりに背負うことはできません。にもかからわらず、イエス様がおられます。わたしたちに先立って、わたしたちに代わって、わたしたちのために神様へ祈ってくださるイエス様がおられるのです。自分の願いでなく、神様の御心を受け止めたのがイエス様です。その方は、神様の御心は、今の苦しみをそのままで終わらせないと信じ抜いたからこそ、御心を受け入れたのです。苦しみに負けて、うずくまって終わりを迎えませんでした。恐れ、もだえ、死ぬ程ばかりに悲しいと言ったその方は、何度も祈った後、言われました。「立て、行こう」。「一体どうしてわたしが」というほどの苦しみも、イエス様を地面に縛り付けることはできませんでした。答えのない問いがイエス様の体と心を打ち倒そうとしましたが、できませんでした。イエス様は、立ち上がったのです。
 わたしたちは、この方を信じています。この方がわたしたちに先立ち、わたしたちに代わって今も「自分の願いでなく、御心がなりますように」と祈ってくださっているのです。だから、わたしたちも立ち上がって行くのです。

今年は4月20日がイースター(復活節)

受難日礼拝、イースター礼拝にどうぞおいで下さい。

★★4月18日(金)  受難日★★
・受難日礼拝 19:30から、2階礼拝堂で行います。

★★4月20日(日) イースター(復活節)★★
・子どもの教会 幼小科は、8:10集合です。お時間お間違えのないように。朝ごはんがありますよ。
・子どもの教会 中高科は、いつもどおり9時礼拝に出席して、その後、朝ごはんに合流します。
・主日礼拝(10:30から) イースター礼拝です。礼拝後、持ち寄りの愛餐会があります。

◆子どもの教会イースターのご案内◆

2014年4月の写真

2014年度が始まりました。
今年度も、神様に祝福され、ともに支えあい励ましあって歩む一年となりますように。

原町田教会で、あなたをお待ちしています。

保護中: [教会員用] 2014年4月 主日礼拝音声

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日本基督教団 原町田教会 : 当教会では、日本聖書協会発行『新共同訳聖書』、日本基督教団出版局発行『讃美歌21』を使用しています。