2014年2月 雪

今年の2月は、町田にも雪がたくさん降りました。みなさまのお家の周りはいかがでしたか。寒い日が続きます、健康と平安とが守られますようにお祈りします!
 

深い憐れみによって 2014年2月2日

マルコによる福音書1章40〜45節
◆重い皮膚病を患っている人をいやす
1:40 さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。
1:41 イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、
1:42 たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。
1:43 イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、
1:44 言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」
1:45 しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。

詩編51 12~21節
51:12 神よ、わたしの内に清い心を創造し/新しく確かな霊を授けてください。
51:13 御前からわたしを退けず/あなたの聖なる霊を取り上げないでください。
51:14 御救いの喜びを再びわたしに味わわせ/自由の霊によって支えてください。
51:15 わたしはあなたの道を教えます/あなたに背いている者に/罪人が御もとに立ち帰るように。
51:16 神よ、わたしの救いの神よ/流血の災いからわたしを救い出してください。恵みの御業をこの舌は喜び歌います。
51:17 主よ、わたしの唇を開いてください/この口はあなたの賛美を歌います。
51:18 もしいけにえがあなたに喜ばれ/焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら/わたしはそれをささげます。
51:19 しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません。
51:20 御旨のままにシオンを恵み/エルサレムの城壁を築いてください。
51:21 そのときには、正しいいけにえも/焼き尽くす完全な献げ物も、あなたに喜ばれ/そのときには、あなたの祭壇に/雄牛がささげられるでしょう。

 イエス様の時代では、重い皮膚病を患った人は、家族から引き離されて、ある離れた村で暮らさなければなりませんでした。ですから、彼らは自由に町を出歩いたりすることはできませんでした。それに加えて、重い皮膚病を患った人たちは、祭司に「あなたは汚れている」と言われ、同時に「わたしは汚れた者です」と自分でも言うようにと律法に定められていました。当時、汚れは悪霊によって人の中に入ってきて重い皮膚病を引き起こすと人々は思い込んでいました。そして、汚れた場合には、それは汚れた本人が罪を犯したからだとして、その罪が赦されなければ、汚れはなくならないとされていました。けれども、イエス様は、汚れは人の外側から人の中に入って来て、人を汚すのではないと言うのです。 マルコによる福音書7:15 「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」。
 
 わたしたち人間は、人を分類するのがどうも好きなようで、特に、2つの対照的なものに分けるのが好きです。善い方と悪い方、善と悪。きれいな方と汚れている方、聖と不浄などと2つに分けてみて、自分が良い方に入っていると安心し、悪い方に入っていると、何とかそこから抜け出そうとするのです。
 わたしたちは、そのように人を2つに分けてしまうことで、時に他の人を汚してしまうことがあります。そして、自分が人を汚すようなことを口から出した後になって、「あ、どうしてこんなことを言ってしまったのだろう」と後悔するのです。けれども、わたしたちはどうしても語り伝えなければなりません。ですから、わたしたちは自分の口から出る言葉をできるだけ良いものにしたいのです。そのためには、心の中をきれいな状態に保つこと、平安の気持ちでいられることが何よりも大切です。わたしたちは心の中の汚れをイエス様に清めて頂くために、正直に自分は心の中に汚れをもった者ですと認め、この重い皮膚病を患った人のように「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言ってイエス様の前に自分を差し出すのです。わたしたちが、イエス様の前にひざまずいて心から「イエス様、わたしを清くしてください」と差し出す時、イエス様は、わたしたちを深く憐れんでくださいます。
 イエス様のこの「深い憐れみ」によって、わたしたちは少しずつですが、汚れの少ない者にされていくと信じます。わたしたちの中にある汚れは、完全にはなくならないかもしれません。けれども、そのようにしてわたしたちは、本来の姿である御子に似た者としての自分に変えられていくのです。 ローマ8章29節「神は前もって知っておられた者たちを、御子に似たものにしようとあらかじめ定められました。」

 イエス様は、皮膚病がなくなり、清くなった人に厳しく言われました。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ行って祭司に体をみせ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい」。イエス様は、病気の癒されたこの人が、まず何よりも律法を守ることによって、生まれ育った家族のところに帰ることを願われたのです。けれども、イエス様も驚かれたかもしれませんが、イエス様が示された深い憐れみは、律法を乗り越えて、この無名な人、名前も記されていないこの人を最初の福音宣教者としたのです。
 わたしたちの日々の生活の中には、あまりにも、お金のことや経済のことばかりが話題となって、他の人の痛みや苦しみについては、できるだけ避けて、見て見ぬ振りをしたいという雰囲気が強まっているように感じてなりません。もちろん、わたしもできるだけ、面倒なことには関わりたくないという自己中心的な気持ちがないと言ったら嘘になります。けれども、神様は、深く憐れむイエス様をわたしたちに示されるのです。イエス様が今日、わたしたちに示してくださった汚れを清める深い憐れみは、イエス様だけに与えられたものではないと思います。主の似姿として造られたわたしたち一人ひとりにも、与えられている賜物だからです。イエス様を信じ、イエス様に倣って生きるわたしたちは、今日、この無名の人を福音宣教者に作りかえた深い憐れみを心に刻みたいのです。主イエス様の深い憐れみによって生かされているわたしたちだからこそ、他の人の痛みに鈍感にならないようにしたいのです。主イエス様の深い憐れみに生かされているわたしたちだからこそ、有名にならなくてもいい、無名のままで自分のこの身に起きたイエス様との出会いという喜びを伝えたいのです。

2014年2月の写真

   

日本基督教団 原町田教会 : 当教会では、日本聖書協会発行『新共同訳聖書』、日本基督教団出版局発行『讃美歌21』を使用しています。