2013年12月29日 来年に向けて

2013年最後の日曜日、子どもの教会には19名の元気な子どもたちが来てくれました。幼稚園から高校生までみんなで「”“年会」。
お茶やコーヒー、おやつにチョコをつまみながら、抱負をひとことずつ述べました。なかには抱腹絶倒ものも。。。神様に今年のお守りと導きとを感謝して、新年には元気で「新年会」ができますようにと祈りました。

 

 

 

 

主日礼拝の後は、新しくできた教会案内の最後の仕上げ。子どもも大人も、みんなでワイワイ一緒にやったら、あっという間に何百枚もできました。来年、原町田教会に来てくださる方に、お渡しすることができますように。教会にお誘いしたい方に、届けることができますように。

 

 

 

  

2013年12月23日 子どもの教会クリスマス

12月23日に子どもの教会のクリスマス礼拝・祝会を行いました。たくさんのお友達が来てくれて、一緒にイエス様のお誕生をお祝いすることができました!

★クリスマスおめでとう★

クリスマスおめでとうございます

12月22日(日)はクリスマス礼拝。
原町田教会に初めて来てくださった方がたくさんおられました。
ありがとうございます。
またどうぞおいでくださいね!24日(火)19:30からのキャンドルサービスにもどうぞ!

午後は持ち寄りでお食事会(愛餐会)をしました。ジュニア聖歌隊も出席して讃美歌を歌ってくれました。

 

 

 

 

 

23日(月)の、子どもの教会のクリスマス礼拝の準備中です。中高生が使いかけのろうそくを溶かして作った、様々な形・色のろうそくも並んで、みんなが来てくれるのを待っています。

2013年12月の写真

12月1日のランチ、8日 クリスマス市の写真です。

目を覚まして待つ 2013年12月1日

テサロニケの信徒への手紙5章1〜11節
5:1 兄弟たち、その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません。
5:2 盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。
5:3 人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。
5:4 しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。
5:5 あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。
5:6 従って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。
5:7 眠る者は夜眠り、酒に酔う者は夜酔います。
5:8 しかし、わたしたちは昼に属していますから、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう。
5:9 神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。
5:10 主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。
5:11 ですから、あなたがたは、現にそうしているように、励まし合い、お互いの向上に心がけなさい。

 パウロさんは、テサロニケの教会の人たちに「イエス様は、天の神様のところに帰っていかれたが、近い日に、それも突然に戻ってこられる。その時、その日に神の国がこの地に完成するのです」と伝えていました。けれども、彼らの中には、「イエス様が再び来られるその時は近いから、とりあえず今を楽しめば良いし、特に危険なこともないから、心配しないでも大丈夫」と神様から与えられているこの世での課題を投げ捨ててしまう人たちが出てきていたのです。そして、神様の声ではなく、人間の声に安心してしまうのです。3節「人々が『無事だ。安全だ』と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです」。神様の御言葉ではなく、周りの人たちの声の方を信頼していると大変なことになるとパウロさんは伝えます。もし、わたしたちが、人間が言うところの「無事」や「安全」を何も見ずに、何も考えずに信じるならば、どうでしょうか。その先には御言葉が伝える通りに破滅がやってくるのでしょうか。わたしたちは、人々の「安全だ、無事だ」との声を疑いなく信じることの恐ろしさを日本の歴史の中で目撃してきました。第二次世界大戦中には、新聞などほとんどのメディアは「日本は無事だ、日本は安全だ。なぜならば、日本は数々の勝利を戦地で収めている」と伝え、頭の上をB29が飛んでいるのにラジオは「安全だ」と繰り返していました。そして多く人たちは、それに対して「本当なの?」と言えないのでした。また、2011年3月11日の地震と津波によって事故を起こし、今なお危険な状態にあって放射能を出し続けている福島の原子力発電所もそうであります。

 わたしたちは、世の人々が伝える「無事だ、安全だ」という言葉を心から信頼してはいけないのでしょう。イエス様が「悪から救い出したまえ」と祈りなさいと言われた、この主の祈りは、社会にはわたしたち人間が造り出した悪があるということをはっきりと伝えています。その人間が造り出した悪が社会の中にあるのですが、眠っている人のように目を閉じて何も考えず、何も見ないようにしていることは、暗闇の中にいることと同じですよと御言葉は伝えます。
 
 イエス様は2000年前にわたしたちのこの世に来られ、救いを示されたのですが、未だに神の国はこの世に完成していません。ですから、わたしたちが生きるこの世には、光もあれば暗闇もあります。暗闇はいつでも、どこでもわたしたちを悪の道に連れ込む準備をしています。悪の声はわたしたちにささやきます。「自分さえ良ければいいでしょう。他の人が貧乏になっても不幸になっても、自分さえ良ければいいでしょう」。暗闇からの声は、いつでも、どこでもどのような立場の人にもささやきかけてきます。だからこそ、わたしたちは光であるイエス様を見失わないようにするのです。なぜならば、わたしたちは「すべて光の子、昼の子だからです」。では、光の子として、わたしたちは、どうすればイエス様を見失わないようにできるのでしょうか。パウロさんは、次のように教えてくれます。8節「しかし、わたしたちは昼に属していますから、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう」。

 わたしたちが身につけるべきものは、信仰と希望と愛なのです。この3つをもってこそ、わたしたちは「無事だ、安全だ」と言って、わたしたちの目を惑わす暗闇の声を見抜くことができ、この世において光の子として生きていくことができるのです。

 神様は、イエス様の命を通して信仰と希望と愛を示してくださいました。わたしたちが神様を信じるずっと前に、神様がどうしようもないわたしたちを信じてくれました。なぜならば、わたしたちが神様に希望をおくずっと前に、神様がわたしたちに希望をもっていたからです。そうでなくて、どうして大切な御子イエス様をわたしたちのところに送ることができたでしょうか。そして、そのイエス様によって神様が罪あるわたしたちを赦し、愛してくださったのです。10節「主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです」。
 主と共に生きる。それは、神様を信じ、イエス様が再び来られることを希望し、愛に生きることです。もう少し詳しく言うとこのように言えるでしょう。神様を信じる信仰というのは、御言葉に従って生きること。また、イエス様の再臨を希望するということは、終わりの時が来るまでイエス様が生きられた道を進むこと。そして、信じて望むことによってわたしたちは、愛に生きる、十字架の愛に生きる者へと変えられていくのです。イエス様の十字架の愛は「相手のために自分が傷つく愛」です。わたしたちは、自分が傷つく愛に生きることによって暗闇ではなく、光の子とされるのです。

 八木重吉さんは、信仰と希望と愛そのものであるイエス様に気持ちを向け続けられるようにと、素敵な詩でわたしたちを応援してくれています。「イエス」という詩です。イエス。「イエスの名を呼びつめよう。はいる息出る息ごとに呼びつづけよう。いきどおりがわいたら、イエスの名で溶かそう。弱くなったら、イエスの名でもりあがって強くなろう。きたなくなったら、イエスの名できれいになろう。死のかげをみたら、イエスを呼んで生きかえろう。」

 神様は、わたしたちのところにイエス様を再び遣わしてくださいます。アドベントの今日、わたしたちは自らの生き方が、この世の「無事だ。安全だ」との声を信頼するのではなく、イエス様の名前を呼び続ける信仰と希望と愛を身にまとって歩んでいるのか。今一度、見つめなおす時としたいのです。

2013年 クリスマスのご案内

12月1日から、アドベント(待降節)に入りました。讃美礼拝、燭火礼拝、クリスマス礼拝のご案内ができました、どうぞどなたでもお越しください。お待ちしています。

 

 クリックするとPDFで表示できます。

   

日本基督教団 原町田教会 : 当教会では、日本聖書協会発行『新共同訳聖書』、日本基督教団出版局発行『讃美歌21』を使用しています。