2013年 教会・幼稚園バザー♪

快晴!!のもと、教会・幼稚園バザーを行うことができました。おいで下さった皆様ありがとうございました。

バザーご案内と、会場の案内図ができました。

着々と準備が進んでいます。10月27日、礼拝10時30分からの後、午前11時40分~午後2時30分です。どうぞおいでください。

 

 

 

 

 

神のものは神に 2013年10月6日

マタイによる福音書22章15~22節 詩編 52編3~11節 

イエス様は、住み慣れたガリラヤを離れ、国中から税金が集まる富と権力の総本山であるエルサレムに来ていました。今日の箇所の少し前21章です。イエス様はエルサレムに着くなり、何をしたかと言いますと、すぐに神殿に行って、そこで商売をしている人たちを追い払い、両替人の机や鳩を売る人の腰掛けをひっくり返すという事件を起こしました。神殿で商売をしている人たちを通して私腹を肥やしているファリサイ派や祭司に対して、イエス様は強烈な批判の矢を放ったのです。イエス様は、ガリラヤという日本で言うところの東北地方、いわゆる田舎に住んでいましたので、そこで暮らす人たちの暮らしぶりをよくご存知でした。税金によって生活に苦しむ人たちと共に生きてこられたからです。だからこそ、イエス様は、富と権力の総本山であり、きらびやかなエルサレム神殿をみて、お怒りになったのです。 イエス様のことは、その日のうちにファリサイ派や祭司たちの耳に届いたことでしょう。そこでファリサイ派の彼らはヘロデ派の人たちに相談に行きました。彼らの共通の思いはこうでした。「ナザレのイエス、やつを放っておくと大変なことになる。われわれが税金によって得ている不正の金にも感づいているようだし、やつは民衆を率いてわれわれを脅かすことになるだろう。すぐにでもやつを捕まえよう」。そこで彼らは作戦をたてました。彼らが仕掛けた罠の餌、それは税金でありました。ファリサイ派とヘロデ派の彼らは、実に巧妙な、その税金に関するどうやっても言い逃れできない質問を言いました。それが17節です。「ところで、どうお思いでしょうか、教えてください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか」。 この質問には実に巧妙な罠が仕掛けられていました。イエス様がどちらの答えを出しても、ただちに、イエス様の立場が危うくなるものだからです。もしイエス様が「税を納めるべきです」と答えたならば、イエス様が汚らわしいローマの支配を認めたことになって、ローマ支配からの解放を願うユダヤ庶民の期待を裏切ることになります。それとは反対に、イエス様が「税を納めるべきでない」と言ったならば、ローマに敵対する反逆者という容疑でイエス様を葬り去らせることができるのです。ですから、イエス様はこの質問を前にして、もはや逃れる道はないに等しいのでした。 イエス様は彼らに言われます。「税金に納めるお金を見せなさい」。そこで彼らはデナリオン銀貨を持って来ます。そして次のように聞きました。「これは、だれの肖像と銘か」。このイエス様の質問「誰の肖像と銘か」、これがわたしたちへの大きなメッセージとなります。この質問に対して、彼らは「皇帝のものです」と答えます。そのデナリオン銀貨の真ん中には、当時の皇帝ティベリウスの横顔が大きく刻まれていて、その周りには「神とされたアウグストゥスの子、皇帝ティベリウス・アウグストゥス」とギリシャ語で記されていました。このローマ皇帝の像が刻まれた銀貨は、ユダヤの民には屈辱であり、同時にローマの支配の証しでもありました。 イエス様は彼らの「皇帝のものです」との答えに続いて言われました。21節「では、皇帝のものは皇帝に」。ここで終わらないのがイエス様です。それに続いたイエス様のお答えがとても深く、大切な御言葉であります。イエス様は言われました。「神のものは神に返しなさい」。イエス様は、皇帝に税金を納めなくてもいいと言わずに、ローマ皇帝のものは皇帝に返しなさい。ただ、神様のものは、神様に返すのですよと言うことによって、皇帝への税金は絶対やらなきゃいけないというものではないと言われたのです。銀貨そのものに「この方は神様だ」と書いてあるにもかかわらず、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と言いきられたのです。皇帝に払う税金も元をたどれば、神様のものですし、皇帝その人も神様のものです。一見、当たり前のようにわたしたちには聞こえるその一言には、神様のみを神様とする信仰と神様の御心をこの地に行なう生き方が示されているのです。 イエス様は、わたしたちにも聞かれているのだと思います。「あなたには誰の肖像と銘が刻まれていますか?」。さて、どのように答えるでしょうか?ある人は、「わたしには先祖から頂いた名前が刻まれています」と答えるかもしれません。別な人は「わたしの命は父母を通して頂いたものですが、今は自分のものです」。 創世記(1章27節)によりますと、「神は御自分にかたどって人を創造された」とあります。デナリオン銀貨には、皇帝ティベリウスの像と「神とされたティベリウス」という名前が刻まれていました。けれども、わたしたち一人ひとりには神様の像が刻まれている、聖書はそのように伝えます。神様はわたしたちを御自分に似せて創造されたのですから、わたしたちは神様に属するものであり、わたしたちには神様のお名前が刻まれているのです。その神様にかたどられたというところにわたしたちの本当の姿があるのだとイエス様は教えてくださるのです。「神のものは神に返しなさい」とイエス様は言われます。それは単に礼拝に出席して、献金を献げることだけではありません。イエス様が税金によって富と権力の集まるエルサレムで税金をめぐって闘われたのは、「神様のものであるお金がこの世において御旨に適って使われていない」と知らせるためでもありました。だから、イエス様はわたしたちに言われるのです。「あなたたちもわたしに倣って世の不正を見抜くのです」。 わたしたちは、東京都や日本という国に支払った税金も神様のものであるとするならば、そのお金が御心に適って使われるために、わたしたちは世の見張りとしての自覚をもって、イエス様のように不正という悪と闘うのです。先月の28日から今月の14日まで東京で行なわれています「東京国体」でも、たくさんの税金が使われています。その額はなんと1100億円です。あまり知られてはいないかもしれませんが、果たして、それほどの税金をかけてここ東京で国体をする意味があるのでしょうか。国体は、天皇杯を競うスポーツのお祭りです。そこに、天皇が出席し、そのためにたくさんの東京都の職員が動員されると聞いています。また、東京オリンピックにしても素直に喜べないところがあります。たくさんの税金がここ東京でオリンピックのために使われます。きらびやかなオリンピック、あるいは東京国体というお祭りの騒ぎが光を浴びる中で、苦しむ人や小さい人たちが影に追いやられ忘れ去られていくように思えてなりません。わたしたちは、もろ手を上げてオリンピックを喜ぶことはできないのです。きっと東京は、これからメディアなどによってオリンピック一色に染まっていくことでしょう。わたしたちは、そのような中にあって、神様の像とお名前が刻まれた者として不正と闘われたイエス様に立ち帰るのです。 イエス様は言われます。「神のものは神に返しなさい」。

   

当ぺージでの引用聖書:日本聖書協会発行『新共同訳聖書』 (c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988