牧師メッセージを掲載しています

宮島牧師によるメッセージを、テキストまたは音声で、掲載しています。
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2017年8月27日 ここにわたしの家族がいる

◆マタイによる福音書12章46〜50節
12:46 イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。
12:47 そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。
12:48 しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」
12:49 そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
12:50 だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」

今日、イエス様はわたしたちに「天の父の御心を行う人は、わたしの家族だ」と言われました。これはとても嬉しい言葉です。誰でもどんな人でもイエス様の家族になることができるからです。
どこで生まれたとか、どのように育ったとか、どこの学校を出たとか、なんの仕事をしたのかとか、できるできない、能力のある、なしに関係なく、ただ神様に愛されているあなたとして迎え入れてくれるイエス様の家族となる。心も体も安心して憩えるところ、イエス様に「おかえり」と受け入れられる神の家族ですから、「ここにわたしの家族がいる」とイエス様に言ってもらえるわたしたちは幸せです。

でも、皆さんの多くは「天の父の御心を行う人」という言葉にひっかると思います。「あなたは天の父なる神様の御心を行なっていますか?」と聞かれたら、「わたしは神様の御心を行うことなんてできていません」と言うんじゃないでしょうか。自信ありげに胸を張って「わたしは御心を行っています」なんていう人がいたら、心の中で指に唾をつけて眉毛に塗る人がいるんじゃないでしょうか。

もし、皆さんの近くにいる小さな子どもさんが、お孫さん、甥っ子さん、幼稚園、小学校の子どもかもしれませんが、ある時、こんな質問を皆さんにしたらなんと答えますか?「神様の御心って何?」。幼稚園でも時々、「神様ってどこにいるの?」などズバリの質問を受けることがあります。同じように「神様の御心って何?」と聞かれて、皆さんはなんと答えますか?神様の御心、神様が思っていること。小さい子どもですから簡潔にわかりやすく答えなければなりません。「聖書を読めばわかるよ」なんて答えるのもいいかもしれませんが、わたしでしたら、牧師としての意地がありますから、このように答えたいですね。「神様が『大好きだよ』っていつもわたしに言ってくれているから、同じように神様と近くの人にも『大好きだよ』って言えるようにすることかな」。神様と隣人を愛すること。これはとっても難しいことですから、結局、御心を行うことなんてできやしないと皆さん思われるんじゃないでしょうか。神様の御心を行うなんてできない。でも、本当にそうなんでしょうか。

神様の御心、神様が思っておられることをイエス様が何度か、はっきりとお話しくださったことがあります。その一つに次のようなたとえ話があります。イエス様が「100匹の羊のうち、1匹が迷い出てしまい、その1匹を探しに行って、それを見つけたら、その1匹のことを喜ぶだろう」と言って、このように続けました。「そのように、これらの小さい者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない」。小さな者の一人でも滅びることは天の父の御心ではない。「わたしは聖書をあまり読んでもいないし、いい加減な信仰生活を送っているから御心なんて行うことはできないダメなキリスト者だ」と思っている小さなあなたに神様は「わたしから離れていって滅びてほしくない」と思っておられる。そうイエス様は言われます。

福音書を読んでいますとイエス様がしきりに「福音を信じなさい」「恐れることはない。神を信じなさい」と言われていることがわかります。神様はわたしたちのためにイエス様を送ってくださり、その赦しによってわたしたちを神様の子どもとしてくださったと信じる。ただ、神様の憐れみによってのみ、私たちは神様を賛美することができ、イエス様の十字架の赦しによってのみ「わたしは神様を信じます」と言うことができる。わたしたちが何か良いことをしたからでもなく、ただ神様の憐れみと赦しがあったからだと聖書は伝えています。

詩編では繰り返し「神様を賛美せよ」とありますから、神様がイエス様によってしてくださったことを繰り返し覚えて、「神様は素晴らしい方です」と賛美する。それも神様の御心です。こんな小さなわたしを神様は憐れんでくださり、滅んでいきそうになるわたしをイエス様によって救ってくださった。「神様、ありがとうございます。あなたの御名を賛美します」とこれまでも、そして今日もこれからも礼拝する皆さんは、神様の御心を行なっていると言えます。

もちろん、日々の生活のほとんどの時間は、神様の思いではなく自分の思いを優先して考え、行動しているのがわたしたちです。御心を行なっていますなんて自分では言えないと思うのは当然です。だからこそ、神様は教会を与えてくださり、教会でささげる礼拝だからこそ自分の思いを横に置いて心を神様に向けて、神様を賛美し、神様を信じますと告白するのです。

今年の夏も子どもの教会のキャンプで奥多摩に行ってきました。あいにくの雨で川遊びはできませんでしたが、その代わりにアイデアを出しあって、楽しい室内運動会をしてきました。今年のテーマは「聖書」でした。いっぱい遊び、紙すきをしたり、何も書いていない無地の扇子に絵や文字を書いたり、黒い皮に文字を書いた聖書カバーも作りましたし、礼拝も何回もして、子どもたちと一緒に神様を賛美して、聖書が伝えるメッセージを一緒に聴いてきました。小学校1年生から5年生までの子どもたち27人のほとんどは原町田幼稚園出身ですが、まだ神様からの素晴らしい福音が十分に伝わっているとは言えません。ですから、すでに福音を受け入れ、福音を信じている奉仕者たちは一生懸命に子どもたちに喜びの知らせを伝え、また一緒に楽しい時を過ごしました。イエス様はこのように言われています。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」。このイエス様の言葉は神様の御心そのものですから、子どもたちに神様のこと、神様はイエス様の命をくださったほどにみんなのことが大好きだよと福音を伝えている原町田教会は、御心を行なっていると言えます。直接、子どもの教会の働きに繋がっている人はもちろんですが、繋がっていない人であっても、皆さんが献げている献金が子どもの教会を支えていますし、子どもの教会の働きを覚えて祈っているその祈りも大きな支えとなっていますから、それは教会として御心を行なうことになるのです。子どもの教会は教会全体の働きなのですから、直接働いている奉仕者とまた直接繋がっているない皆さんも福音を伝える御心を行う働き人なのです。

イエス様は、「あなたの母上とご兄弟たちが外で立っています」と言った人に「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる」と弟子たちの方を指して言いました。その弟子たちとはどんな人たちだったのでしょうか?私たちとは違って御心を行う力がある立派な人たちでしたか?聖書が伝える彼ら、弟子たちのほとんどは東北ガリラヤの無学な漁師や徴税人でありました。福音書を読めばわかりますが、原町田教会に集うわたしたちと変わらない、良いところもあれば、ダメなところもある人たちです。ペトロさんもいれば、ユダさんもいますし、イエス様をゲッセマネに置き去りにして逃げ去るそんな弟子たちを指差してイエス様は「ここにわたしの家族がいる」と言われ、続けて「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人がわたしの家族だ」と言ったのです。ということは、たとえばこの原町田教会の特別伝道礼拝の講師にイエス様が来られお話をしていたとします。その時にイエス様のお母さんと兄弟たちがやってきて、「ちょっとどうしても会いたいので呼んできてもらえますか」と受付をしていた人に言いました。受付の人はイエス様のところに行って「ご家族がいらしています」と伝えます。するとイエス様は原町田教会に集うみなさんを指差してこう言うはずです。「ここにわたしの家族がいる。わたしの天の父の御心を行う人がわたしの家族である」。みなさんを指差してイエス様は言うのです。「ここにわたしの家族がいる」。嬉しいですね。神様が真の親であり、イエス様をお兄さんとした神の家族です。イエス様があなたはわたしの家族だよ、ここにわたしの家族がいると言ってくださるのですから、これは本物です。

イエス様は大きな心でわたしたちを家族として迎え入れてくれています。ですから、わたしたちもそれにならって、教会にやってきた人をあまりその人のことを詮索せずに、神の家族として受け入れたいですね。「どこで生まれたのか。何歳なのか。何ができるのか。どんな仕事をしているのか。などなど」。いろいろと聞きたくなりますが、まず、神様があなたを家族として迎え入れていますよと受け入れたいですね。

御心を行うってどういうことなんだろうと思っていましたら、イエス様がゲッセネマで苦しみながら祈った、あの祈りの言葉が浮かんできました。これから自分は十字架につけられて殺されるかもしれない。いやきっとそうなる。わたしたちと同じ体の痛みを感じられたイエス様は苦しみ悶えながらこのように祈りました。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」。痛い思いをしたくない、苦しみたくないと願うイエス様でしたが、でもその自分の願いでなく、神の思いである御心が行われますようにと祈りました。わたしたちも苦しいことにぶつかったり、痛い思いをすることもあります。そんな時、「神様、どうか助けてください。この苦しみをわたしから取りのけてください」と祈ります。イエス様がそう祈ったのですから、そう祈っていい。でも、いつも自分の願った通りになるとは限りません。そんな時であっても、わたしたちは「御心が行われますように」と祈ることができるのです。神様の御心はわたしたちを滅ぼすことではありませんから、必ずその苦しみに耐えられる逃れの道を示してくださる。滅びではなく、救ってくださる。いやすでに「御心が行われますように」と神様に祈っている時点で救われている。神様と繋がっていることが救いですし、こんな状態で苦しんでいるわたしですら神様は愛し、「わたしはお前を決して見捨てない」と言われていると信じられるからです。「御心が行われますように」と祈ることができるのは、まさに神様の御心なのです。

パウロさんがカイサリアにいた時のことですが、パウロさんのところにユダヤから来た人が訪ねて来て、パウロさんの帯をとって、それで自分の手足を縛って「聖霊がこうお告げになっている。エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ち主をこのように縛って異邦人の手に渡す」と言いました。それを聞いた教会の人たちにパウロさんは「主イエスの名のためならばエルサレムで縛られるばかりか死ぬこともさえも覚悟している」と言ったのです。パウロさんのその覚悟は確かで人の思いでは変わらないだろうと思った教会の人たちは、彼に向かってこのように言いました。「御心が行われますように」。

わたしたちも自分のこと、あるいは他の人のことで自分の思うようにことが進まない、そんな経験をします。そんな時、心配したり、落ち込むこともあれば、どうしてこんなことになるんだと怒りを感じることもあるでしょう。でも、わたしたちは「御心が行われますように」という祈りを知っています。神様の御心は自分の思いとは違う。でも、御心は必ず滅びではなく良い実を結びますから、神様を信じて「御心が行われますように」と委ねるのです。「御心が行われますように」。この言葉を口に出して祈ってみてください。イエス様が祈った言葉です。「御心が行われますように」とみなさん、神様を信じて祈ってください。そのように祈るのはすでに御心を信じて委ねる皆さんなのです。イエス様は原町田教会に集うわたしたちに向かって今日、言ってくださいました。「ここにわたしの家族がいる。わたしの天の父の御心を行う人がわたしの家族である」。

 

2017年7月16日 「良いものをくださる」

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◆聖書 テモテへの手紙一2章1〜8節
02:01 そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。
02:02 王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。
02:03 これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。
02:04 神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。
02:05 神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。
02:06 この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。
02:07 わたしは、その証しのために宣教者また使徒として、すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。わたしは真実を語っており、偽りは言っていません。
02:08 だから、わたしが望むのは、男は怒らず争わず、清い手を上げてどこででも祈ることです。

◆聖書 マタイによる福音書7章1〜12節
07:01 「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。
07:02 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。
07:03 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
07:04 兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。
07:05 偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。
07:06 神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」
07:07 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
07:08 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
07:09 あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。
07:10 魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
07:11 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。
07:12 だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」

2017年6月18日「立ち帰って生きよ」

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◆聖書
エゼキエル書18章25〜32節
25 それなのにお前たちは、『主の道は正しくない』と言う。聞け、イスラエルの家よ。わたしの道が正しくないのか。正しくないのは、お前たちの道ではないのか。
26 正しい人がその正しさから離れて不正を行い、そのゆえに死ぬなら、それは彼が行った不正のゆえに死ぬのである。
27 しかし、悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、彼は自分の命を救うことができる。
28 彼は悔い改めて、自分の行ったすべての背きから離れたのだから、必ず生きる。死ぬことはない。
29 それなのにイスラエルの家は、『主の道は正しくない』と言う。イスラエルの家よ、わたしの道が正しくないのか。正しくないのは、お前たちの道ではないのか。
30 それゆえ、イスラエルの家よ。わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く、と主なる神は言われる。悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。罪がお前たちをつまずかせないようにせよ。
31 お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。
32 わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる。

使徒言行録17章22〜34節
22 パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。
23 道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。
24 世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。
25 また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。
26 神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。
27 これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。
28 皆さんのうちのある詩人たちも、
『我らは神の中に生き、動き、存在する』
『我らもその子孫である』と、
言っているとおりです。
29 わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。
30 さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。
31 それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」
32 死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。
33 それで、パウロはその場を立ち去った。
34 しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。

2017年5月14日 「イエス様を通って」

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◆聖書◆
◆ヨハネの手紙一2章1~11節
02:01 わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。
02:02 この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。
02:03 わたしたちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。
02:04 「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません。
02:05 しかし、神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。これによって、わたしたちが神の内にいることが分かります。
02:06 神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません。
02:07 愛する者たち、わたしがあなたがたに書いているのは、新しい掟ではなく、あなたがたが初めから受けていた古い掟です。この古い掟とは、あなたがたが既に聞いたことのある言葉です。
02:08 しかし、わたしは新しい掟として書いています。そのことは、イエスにとってもあなたがたにとっても真実です。闇が去って、既にまことの光が輝いているからです。
02:09 「光の中にいる」と言いながら、兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいます。
02:10 兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。
02:11 しかし、兄弟を憎む者は闇の中におり、闇の中を歩み、自分がどこへ行くかを知りません。闇がこの人の目を見えなくしたからです。

◆ヨハネによる福音書14章1~11節
14:01 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。
14:02 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
14:03 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。
14:04 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」
14:05 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」
14:06 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
14:07 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」
14:08 フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、
14:09 イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。
14:10 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。
14:11 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。

2017年4月23日 「一緒にいるから大丈夫」

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◆聖書◆
◆イザヤ書65章17~25節
65:17 見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。
65:18 代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとしてその民を喜び楽しむものとして、創造する。
65:19 わたしはエルサレムを喜びとしわたしの民を楽しみとする。泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。
65:20 そこには、もはや若死にする者も年老いて長寿を満たさない者もなくなる。百歳で死ぬ者は若者とされ百歳に達しない者は呪われた者とされる。
65:21 彼らは家を建てて住みぶどうを植えてその実を食べる。
65:22 彼らが建てたものに他国人が住むことはなく彼らが植えたものを他国人が食べることもない。わたしの民の一生は木の一生のようになり わたしに選ばれた者らは彼らの手の業にまさって長らえる。
65:23 彼らは無駄に労することなく生まれた子を死の恐怖に渡すこともない。彼らは、その子孫も共に主に祝福された者の一族となる。
65:24 彼らが呼びかけるより先に、わたしは答えまだ語りかけている間に、聞き届ける。
65:25 狼と小羊は共に草をはみ獅子は牛のようにわらを食べ、蛇は塵を食べ物としわたしの聖なる山のどこにおいても害することも滅ぼすこともない、と主は言われる。

◆使徒言行録13章26~31節
13:26 兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち、この救いの言葉はわたしたちに送られました。
13:27 エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めず、また、安息日ごとに読まれる預言者の言葉を理解せず、イエスを罪に定めることによって、その言葉を実現させたのです。
13:28 そして、死に当たる理由は何も見いだせなかったのに、イエスを死刑にするようにとピラトに求めました。
13:29 こうして、イエスについて書かれていることがすべて実現した後、人々はイエスを木から降ろし、墓に葬りました。
13:30 しかし、神はイエスを死者の中から復活させてくださったのです。
13:31 このイエスは、御自分と一緒にガリラヤからエルサレムに上った人々に、幾日にもわたって姿を現されました。その人たちは、今、民に対してイエスの証人となっています。

2017年3月12日 「喜びと楽しみがあなたを迎える」

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◆聖書
イザヤ書35章1-10節
01 荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ 砂漠よ、喜び、花を咲かせよ 野ばらの花を一面に咲かせよ。
02 花を咲かせ 大いに喜んで、声をあげよ。砂漠はレバノンの栄光を与えられ カルメルとシャロンの輝きに飾られる。人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。
03 弱った手に力を込め よろめく膝を強くせよ。
04 心おののく人々に言え。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる。」
05 そのとき、見えない人の目が開き 聞こえない人の耳が開く。
06 そのとき 歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。荒れ野に水が湧きいで 荒れ地に川が流れる。
07 熱した砂地は湖となり 乾いた地は水の湧くところとなる。山犬がうずくまるところは 葦やパピルスの茂るところとなる。
08 そこに大路が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれ 汚れた者がその道を通ることはない。主御自身がその民に先立って歩まれ 愚か者がそこに迷い入ることはない。
09 そこに、獅子はおらず 獣が上って来て襲いかかることもない。解き放たれた人々がそこを進み
10 主に贖われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて 喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え 嘆きと悲しみは逃げ去る。

マタイによる福音書12章22-32節
22 そのとき、悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人が、イエスのところに連れられて来て、イエスがいやされると、ものが言え、目が見えるようになった。
23 群衆は皆驚いて、「この人はダビデの子ではないだろうか」と言った。
24 しかし、ファリサイ派の人々はこれを聞き、「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」と言った。
25 イエスは、彼らの考えを見抜いて言われた。「どんな国でも内輪で争えば、荒れ果ててしまい、どんな町でも家でも、内輪で争えば成り立って行かない。
26 サタンがサタンを追い出せば、それは内輪もめだ。そんなふうでは、どうしてその国が成り立って行くだろうか。
27 わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。
28 しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。
29 また、まず強い人を縛り上げなければ、どうしてその家に押し入って、家財道具を奪い取ることができるだろうか。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。
30 わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。
31 だから、言っておく。人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、“霊”に対する冒涜は赦されない。
32 人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。」

2017年2月26日 「あなたを決して手放さない」

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◆聖書
マタイによる福音書14章22-33節
14:22 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。
14:23 群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。
14:24 ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。
14:25 夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。
14:26 弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。
14:27 イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
14:28 すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」
14:29 イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。
14:30 しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。
14:31 イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。
14:32 そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。
14:33 舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。

2017年2月5日 「見て、聞いているから幸いだ」

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◆聖書
マタイによる福音書13章10~17節
13:10 弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。
13:11 イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。
13:12 持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
13:13 だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。
13:14 イザヤの預言は、彼らによって実現した。『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。
13:15 この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』
13:16 しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。
13:17 はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」

2017年1月15日 「御言葉食堂へようこそ」

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◆聖書
エゼキエル書 2章 1節-10節
02:01 彼はわたしに言われた。「人の子よ、自分の足で立て。わたしはあなたに命じる。」
02:02 彼がわたしに語り始めたとき、霊がわたしの中に入り、わたしを自分の足で立たせた。わたしは語りかける者に耳を傾けた。
02:03 主は言われた。「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの人々、わたしに逆らった反逆の民に遣わす。彼らは、その先祖たちと同様わたしに背いて、今日この日に至っている。
02:04 恥知らずで、強情な人々のもとに、わたしはあなたを遣わす。彼らに言いなさい、主なる神はこう言われる、と。
02:05 彼らが聞き入れようと、また、反逆の家なのだから拒もうとも、彼らは自分たちの間に預言者がいたことを知るであろう。
02:06 人の子よ、あなたはあざみと茨に押しつけられ、蠍の上に座らされても、彼らを恐れてはならない。またその言葉を恐れてはならない。彼らが反逆の家だからといって、彼らの言葉を恐れ、彼らの前にたじろいではならない。
02:07 たとえ彼らが聞き入れようと拒もうと、あなたはわたしの言葉を語らなければならない。彼らは反逆の家なのだ。
02:08 人の子よ、わたしがあなたに語ることを聞きなさい。あなたは反逆の家のように背いてはならない。口を開いて、わたしが与えるものを食べなさい。」
02:09 わたしが見ていると、手がわたしに差し伸べられており、その手に巻物があるではないか。
02:10 彼がそれをわたしの前に開くと、表にも裏にも文字が記されていた。それは哀歌と、呻きと、嘆きの言葉であった。

エゼキエル書 3章 1節-4節
03:01 彼はわたしに言われた。「人の子よ、目の前にあるものを食べなさい。この巻物を食べ、行ってイスラエルの家に語りなさい。」
03:02 わたしが口を開くと、主はこの巻物をわたしに食べさせて、
03:03 言われた。「人の子よ、わたしが与えるこの巻物を胃袋に入れ、腹を満たせ。」わたしがそれを食べると、それは蜜のように口に甘かった。
03:04 主はわたしに言われた。「人の子よ、イスラエルの家に行き、わたしの言葉を彼らに語りなさい。

ヨハネの黙示録 10章 8節-11節
10:08すると、天から聞こえたあの声が、再びわたしに語りかけて、こう言った。「さあ行って、海と地の上に立っている天使の手にある、開かれた巻物を受け取れ。」
10:09そこで、天使のところへ行き、「その小さな巻物をください」と言った。すると、天使はわたしに言った。「受け取って、食べてしまえ。それは、あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い。」
10:10わたしは、その小さな巻物を天使の手から受け取って、食べてしまった。それは、口には蜜のように甘かったが、食べると、わたしの腹は苦くなった。
10:11すると、わたしにこう語りかける声が聞こえた。「あなたは、多くの民族、国民、言葉の違う民、また、王たちについて、再び預言しなければならない。」

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日本基督教団 原町田教会 : 当教会では、日本聖書協会発行『新共同訳聖書』、日本基督教団出版局発行『讃美歌21』を使用しています。