『証し』 キリストとの出会い

神様との出会い、神様からいただいた恵み。
それを人に伝えることをキリスト教会では『証し』(あかし)と呼んでいます。
このページには、原町田教会の教会員の証しを掲載しています。私たちの証しが、あなたと神様との出会いの扉を開いてくれますように。

※クリスチャンになることを決心して洗礼(バプテスマ)を受ける時の証しは、『信仰告白』『救いの証し』とも呼ばれます。自分がどのようにして神様に救われたのかを人に伝えるための大切な証しです。

証し

今日の成長祝福式には、原町田幼稚園の卒業生の方々に来て頂いている。私は高校生の頃まで教会やキリスト教の信仰にふれることが全くなかったのでとても羨ましいと思う。私は子どもの時はとにかく引っ込み思案、目立つことが苦手な子どもだった。大学生の時にいろいろと悩み、その中で手探りをしながら、アルベルトシュバイツアーのことを読んだり、他にもいろいろな本を読んで、キリスト教の信仰にふれた。そして大学4年生の夏に教会へと導かれ、就職した年のクリスマスに富士見町教会で洗礼を受けた。妻は同じタイミングで他の教会から富士見町教会へと転入会し、それから3年後に結婚して町田に住み、原町田教会の礼拝に出席するようになり、25年間、皆さまのお世話になっている。

私の勤め先は、初めは医薬品の会社で分析試験の仕事をしていた。実験動物にモルモットを沢山使って仕事をするようになり、いろいろと思うところがあって、5年勤めた後、今の会社に転職した。余談だが、その会社を退職する時に職場の先輩から、記念に何か持っていきたいものはないか訪ねられたので「モルモットを1匹欲しい」と答えたところ承諾されたので、家に連れて帰り、1匹では寂しかろうということで、店でもう1匹買い、2匹を飼っていたが、ねずみ算式に増えて飼いきれなくなり、原町田幼稚園に引き取って頂いた経緯がある。

今の会社には24年勤めている。環境問題に関する仕事をする民間の会社で、川や海の水を分析したり、土壌汚染を調べたり、東日本大震災の後は放射能の試験をしたりということを長く続けてきたが、その流れの中で福島県の除染の仕事にも関わるようになった。そして今年2月からは、環境省の直下にある会社に出向という形で派遣されている。

その会社全体の仕事内容は福島県内の各地、田んぼや小学校等にフレコンという袋に入れて保管されている除染土を福島第一原発の近くの町(大熊町、双葉町)の中に作った施設に輸送し、そこで安全な形で保管するということで、私はその一部の役割を与えられて週の半分は都内、半分はいわきという生活を送っている。

出向した最初の日に職員150名くらいの前で着任の挨拶をした。以前の自分であれば、口から内臓が飛び出しそうになる位、緊張する場面だと思うが、意外と平気だった。図々しくなったということだと思う。考えてみると教会の礼拝でも100名の前で話をする機会は度々ある。俗な言い方だが教会で鍛えられた、いや、育てて頂いたのだと思う。

今、読んでいる本がある。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか(マルコによる福音書15.34)」という十字架上の主イエスの言葉の解き明かしであるが、その中で次のように書かれている。

「私たちと同じように主イエス・キリストも不安の中におり、万策尽きており、恐れと戦きの中に、闇の中にいる。私たちは決して孤独ではない。私たちが不安や混乱や恐れの中にいる時、まさにそのただ中に十字架につけられたキリストもいるのである。」

「不安や混乱の中に、まさにそのただ中にキリストが共にいる」この言葉に私は今、とても勇気づけられている。

もっともっと図々しく、前へと進んでいきたいし、今はまだできないが、福島県の地元の方々に少しずつ寄り添って仕事をしたいと願っている。

最後に1つ文章を読みたい。

「わたしたちは主の力が弱さの中でこそ十分に発揮されることを信じ、病いや老い、労苦をも恵みとして受け入れ、すでに救われていることの喜びを証しします。(原町田教会 教会の約束(案)より)」

(2018年3月 礼拝後の「証し」にて)(50代 男性)

信仰告白

初めて教会に行ったのは、田舎の高校生の時でした。
礼拝は心洗われ、とても清々しいものでした。
北陸の長く厳しい冬に、手足がかじかんでも、教会に通うのは楽しみでした。 
それなのに、いつか離れてしまったのです。
その頃一緒だった同年代には、後に牧師になった方が二人もいたのですが、当時の私にはイエス様の復活が、どうしても信じられなかったのです。
牧師になった一人は、「霊的体験をするかどうかが、分かれ道だと思う」と言ってくれたのですが、その言葉は何となく頭に残りました。

それから、実に40年が過ぎたのです…
普通に生きたつもりでも、葛藤の多い人生だった事は言うまでもありません。
しかし、転機は今年訪れました。

それは、12年を費やしたある悩みに、ようやく希望の光が見えて来たという時、不思議な事に、ある日「いつくしみ深き友なるエスは」と、讃美歌が頭に浮かんできたのです。
思わず歌うと、涙がどっとあふれてきました。
そしてその時、心の奥底から、燃えあがるように、(教会へ行きたい!イエス様に会いたい!)という思いが、こみ上げて来たのです。
同時に、もう一点の曇りもなく、イエス様を信じられるようになっている自分に気がつきました。
それは、去年、実家の父が亡くなってから、私は霊的体験を何度もしていたからです。
そして、遂に8月の第4週、この礼拝堂への階段を、興奮気味に上りました。
40年のブランクの意味も、ここでの入門講座の中でわかりました。罪深い私には、孤独が骨身に染みるまで、40年、耐えて、成長する時間が必要とされたのだと思います。

しかし、やっと帰り道を見つけました。
私はこの先の人生を、もうイエス様の御言葉無しには歩けません。
こんな私でも、愛されていると知り、今度は愛を与える人になります。
他の人につくします。
イエス様が連れ戻して下さったこの道を、まっすぐに歩いてゆきます。

(50代・女性)

証し

私は埼玉県の草加市で生まれた。3歳下の妹と6歳下の弟がいる。父は福島県の生まれで、戦後集団就職で草加に移り住んできた。母は東京生まれ、昭和20年のいわゆる東京大空襲があった時4歳で、戦火の中を生き延びてきた。こうした父母の苦労に比べると、私は何一つ苦労もなく育った。ただ、小さい時から引っ込み思案で、人前に出るのが苦手だった。

子どもの頃はキリスト教とは無縁の生活だった。クリスマスといえば地元の子ども会でプレゼント交換をしたくらいの記憶しかない。

高校3年生の頃になると、いろいろなことに悩むようになった。心にポッカリ穴があいたようになった。
・今、ここにいる自分とはいったい何者なのだろうか?
・人の一生が死で終わるものだとしたら、その中で努力したり、苦しみを乗り越えることに一体どんな意味があるのか?
・そもそも人生には意味があるのか?
この問いに回答が与えられるまでは何も手につかないと思えた。

その後、仙台の大学に進んだ。理科系の大学に入ったにもかかわらず、理科系の授業には身が入らず、むしろ一般教養として受けていた倫理学の授業はかじりつくように聞いていた。その中で紹介されたカール・ヒルティの「幸福論」という本は、私にとってキリスト教への入口となった。

その後、長い間、教会に行ってみたいとは思っていたが、どのような教会に行けば良いのかもわからず、門をくぐることができなかった。

大学4年生の6月のある日、新聞を見ていたら、地方版のページにわずか5センチ四方くらいの大きさで、「仙台東一番丁教会 伝道礼拝○月○日○時」という短い言葉が目に飛び込んできた。

初めて出席した礼拝で読まれた聖書箇所は創世記45章のヨセフ物語と、ローマの信徒への手紙8章28節「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」とう箇所、説教題は「神の御計画」だったと思う。
キリスト教がどんなものかはよくわからなかったが、苦しみにも何か意味があるに違いない、聖書の中に自分が求めていた問いに対する答えがあるに違いない、そのような希望がわいてきたことを覚えている。

それから1年後、卒業して実家に帰り、通勤途中にあった富士見町教会に通うようになり、その年のクリスマスに受洗した。それから5~6年後、町田に移り住み、原町田教会の礼拝に出席するようになった。毎週の説教やいろいろな方の証しを伺って、少しずつ育てていただいたと思っている。

今から3年くらい前に「神を見る生活」という本を目にした。その書き出しはこのようになっている。

神を見ること~人生の目的
私のゴールは神ご自身である。喜びや平安、あるいは祝福でもなく、私の神ご自身である。

先ほどの人生の問いに対する答えが短い言葉で完全な形で表現されていると思う。

背伸びしなくてもいい。
私たちは何か立派な働きをしたから救われるとかそういうことではない。
私たちはそのままの状態で神に受け入れられている。
肩ひじを張る必要がないと知ってすごく気分が楽になった。

この本をさらに読み進めていくと、神を見る生活を知った人は必然的に主を証しする生活が待っているということが書かれている。私たちがどんな人間であっても神から一方的な恵みが与えられ、恵みをいただいた人間は自然とそれを他の人へと注ぐようになる。、ということである。

それも肩ひじを張る必要はない。
必要なものはすべて神が整えてくださる。
例えば、もし、仮に私が病気になって寝たきりとなっても、その場所でキリストを見上げて生きるならば、神は私をそのままの状態で用いてくださると思う。

私も年を重ね、だんだん図々しくなってきた。
肩ひじを張らず、ありのままの自分として皆様と一緒に歩いていきたい。

(50代 男性)

 

洗礼を受けようと思った理由

生きる意味が見出せず、何故生きていなくてはならないのだろう、と感じていました。「善く生きよう」としても、自分の不完全さに絶望するばかりです。更には、善悪とは何であるのかも、よく分からなくなり、全てが相対するだけで何一つ絶対というものが無くなっていました。完全に迷い、虚しさの中で「それでも愛だけは無駄ではない」と何処かで信じ、「愛だけは間違わない」というかすかな希望を持って、必要に駆られる様にして真実を求めました。その時、私の心は真暗でした。魂が渇いて、枯れているように感じ、自分の存在の無意味性に押されて、自分のことすら愛する気になれませんでした。

心の中で、二つの両端にひっぱられる様にして、惰性によって「人のいう幸せ」を持ち、自分をごまかして生きたい、という思いと、それに耐えられないから真実を知りたい、という思いの間で手さぐりで手にしたのが聖書だった、ということになると思います。

真実に出会った時、私は一度死刑になり、イエス様の命の中に生まれ変る必要がありました。既に死んでいた命を与えられたのですから、これからは「私の」人生ではありません。洗礼は、そのことの証しでした。

光の中で自分の姿を見ることは、辛いことでもありましたが、目をそらすことなく、新しい命の中に生きていきたいと思います。

(20代・女性)

証し

洗礼を受けて四十五年、かたくなで不信仰の落第生を、神様は忍耐をもって見捨てず、御手の中で支え守って下さっている事を感謝を持って実感しています。

私は、数年前から股関節の病気で足が不自由になりました。昨年八月には、左手首を骨折し、検査していた胸のしこりが悪性と診断されました。「私にも順番が廻ってきた」と覚悟し、手のギブズが取れるのを待って、十月に入院手術を受け、その後の治療も無事終わり今やっと落ちついたところです。

ガンの宣告以来、比較的平安でいられたのは、神様がいつも共にいて下さるという安心と、病状が初期段階であった事、子育て等人生の務めは果したので思い残す事もなく神様にすべて委ねようと思ったからです。

入院前、後、私の前で、私の知らない所で、多勢の方が祈って下さいました。言葉の一つ一つに励まされました。

病院で会った方々との体験から、私の病気など甘いもので、再発、副作用と真摯に闘っておられる多勢の方を通して、病気の大変さ、本人、ご家族の苦しみ等、いろいろ考えさせられました。

足のリハビリの為、プールに行っています。水中ですと痛い足も前に出て跳ねる事もできます。以前プールで歩いている時、たくさんの感謝があふれて来て「神様ありがとう!あなたを賛美します!」と何度も心の中でとなえていました。

その時こんなに「あなたを賛美します」と心から祈ったことがあったろうか、それ迄この祈りは形だけの感がありました。感謝と共に思わず口について出た「あなたを賛美します」という祈りに、神様と私の距離がちょっと近くなった感じがしました。

これから先、どんな状況にあっても、心から「神様有難うございます。あなたを賛美します」と祈れるように、神様に結ばれていたいと強く願っています。

(60代・女性)

証し

息子を何処の幼稚園に入れるか迷っていた時に、主人の会社の仲間から原町田幼稚園は躾が確りと行きとどいているとの事、その方の息子さんも原町田幼稚園に決めたとの事、「実際御主人の奥様のお姉さんの子が卒業している」、何と確かな情報に我が家も即きめました。(胸に葡萄の刺繍がしてあるブレザ-の制服も魅力でした) 場所は後日見に来た次第です。当時は園バスもなく、自転車・電車・路線バス等々、車で来る方は数人でした。狭い入口の門で花岡牧師が一人一人の親子に笑顔で、お早うと迎えて下さり、さようならと送り出して下さる事が親子にとっても楽しい一時でした。

そんな過ぎし日々を思い起こさせるのも歳を重ねたのかも知れませんが、私にとっては幼稚園の存在が有ったが故に神様に導かれたのです。毎週水曜日に聖書の学びが有るとの事で、おそるおそる出席し初めて手にした聖書と讃美歌、あの驚きと感動は今も心の片隅に保存されています。聖書の中に何が書かれているのか、牧師の説きあかしに何故か目頭が熱くなり学びが終ると不思議にも肩の荷が軽く成り気持ちが落ち着きました。毎回母の会から10人程出席し毎回学びを重ねる度に神様は私達を愛して下さっているのだと・・・。母の会の聖書の学びの他にジーン・マクドナルド宣教師のバイブルクラスもありました。

合同のバザーでは手作りの物が好評で遅くまで準備に追われましたが、教会員の方々との交わりの中で身近な話を聞きながら作業をし得るものが沢山あり、礼拝にも出席して下さいね!と声を掛けて下さり礼拝に欠かさず出席し1974年12月22日花岡政吉牧師から洗礼を授けて頂きました。家族の反対もなく息子と主人が最後まで見届けてくれた記念する最良の日でした。受洗した後も主人の母が83歳の生涯の中で3回礼拝を共にし、クリスマスの礼拝が有るたびに礼拝には行けないが神様に献金を捧げてしてくださいと、明治生まれの頑固な一面の中にも3回の礼拝ではあるが何か心に残る宝物があったのかなと思います。私の古い聖書を何時も寝転がって読んでいましたので旅立ちの際に友として持たせました。

それからの生活はめまぐるしいテンポの中で仕事をしながら、主日礼拝を守るために365日休む事無く仕事に追いまくられて過ごしてきたのが若い時の至らない信仰生活でした。若い時の人生の其々の曲がり角では急なカ-ブも難なく曲がってこられたのだと思って過ごしてました。しかし歳を重ねて来ると、若い時の生活のテンポでは無理でして仕事の量を減らして、やりたい事も断念しなければならない部分が多々あります。これが老年期の免れない現実なのです。若い時の急カ-ブも老年期のスローなカ-ブも神様の憐れみなしでは曲がり切れないのです。

修養会の話合いの時に出た箇所がイザヤ書46:3~4節・神様に負われる人生、生れた時から、胎を出た時から、老いるまで、白髪となるまで、神様が人間をつくられたから必ず背負って下さる。神様に負われる生活は神様の愛を受けて神様によって生かされている者として隣人を愛し共に支え合って歩む事だと思います。

私共の生涯の順調な時も、逆境に立たねばならぬ時も常に背後に御手の働きを信じて今も私共のかたわらに立って御手を取って共に歩んで下さる神様、永遠に絶えることのない愛に感謝し、私共の罪の結果であるキリストの十字架を見上げて信仰生活が全うできるように御霊の導きを願う者です。

最後にヨハネよる福音書14章4節
  私は道であり、真理であり、命である
もう1箇所、箴言2章5~6節
  心をつくして主に信頼し、自分の分別に頼らず、
  常に主を覚えて貴方の道を歩け
  そうすれば主は貴方の道筋を真直ぐにして下さる。
!原点に戻されます!

(70代・女性)

一粒の小さき種

今日受洗出来ますことは、こんな私にも、神様は一粒の種を蒔いて下さったからと思います。ふりかえって見ますと、子供の頃母に「神様のお姿は見えないけれど、あなたの行いはいつもごらんになっているのよ」と云われ、私も何となく神様の存在を信じる様になりました。我が家は曹洞宗なのに何故かマリア様の絵が飾ってありました。中学校はミッションを受験することになり、面接の時「キリスト教のことを学び、クリスチャンになりたいと思います」父に云われた通り答え、合格しました。

1年の時、担任は都会的でチャーミングな先生でした。国語の先生でした。「この讃美歌は父の作詞なの」と教えて頂き歌ったことが懐かしく思い出されます。初めての礼拝、聖書、讃美歌、宣教師の外国人3名、異文化に触れた様で何もかも新鮮でした。聖書を学ぶなかで好きなみ言葉は「求めよ さらば与えられん… 狭い門より入れ…」自己流に解釈し、勉学の励みにしていました。

昭和35年結婚し上京しました。新しい生活を始めるに当たり、聖書と讃美歌は絶対必要と思い、持参しました。子供達の幼稚園は原町田幼稚園にお世話になりました。その間、お料理を教えていただいたり、又聖書を学び、バザーのお手伝いと皆様との交わりを深め、充実した日々を過ごすことが出来ました。家庭集会も行うことが出来ました。この時期、長男が統一教会と関わり苦悩の日々でしたが、祈りの中で道が示されたと思います。その後、息子は受洗することになりました。祈りは自分本位にならない様に、あくまでも神様のみ心ならばと祈りなさいと教えてくれた義姉の葬儀の日ともなりました。孫の病気「神様やっと誕生した大事な孫です。私の命にかえて助けて下さい」祈り、祈り続けました。幸いに孫は意識を回復し、私はまだ必要なのか生かされています。夫の死後、今前向きに生活出来ますことは神様の大きな愛とまわりの人たちの温かい支えがあったからと感謝しております。長い長い年月を経てようやく扉を開くことが出来ました。

これからは「主共にいます」ことを憶え、ただ従って行きたいと思います。蒔かれた種は大事に育て豊かに実を結ぶことが出来たらと願っております。又、今日の日を迎えられましたことは、皆様の祈りがあったからと感謝しております。今後ともご指導の程よろしくお願い致します。

(60代・女性)

信仰告白

私はずっと、自分に都合の悪いことやうまくいかないこと、辛いこと、それらすべてを誰か他の人や他のものごとのせいにして生きてきました。自分は間違っていない、うまくいかないのは私のせいじゃないと思っていました。ですから、昨年仕事と友人関係の両方でにっちもさっちもいかない状況に陥った時にも、なぜ自分だけこんな思いをするんだ、あの人が悪い、この人のせいだ、と心の中で叫んでいたのです。

ところが、そんな私に対して「自分は悪い人間なんだよ」と謝ってくれた人があり、勝手に自己の正当化ばかりしていた私は頭を殴られたような気がしました。お前は本当に何の罪も犯していないのか?小さな妬みから大きな憎しみまで、自分の中から出たものの醜さに目をつむっているのではないか?正面から自分の醜さに向き合ってみると、あまりの罪の大きさに目を覆いたくなりました。

そんな時に三浦綾子さんの著作に出会い、人間は罪深いものであり、その罪を背負ってイエス様が十字架にかかって下さったと知ったのです。こうして私はキリスト教について考えるようになりました。

地図や電話帳で教会を探し、自転車で場所を確かめ、やっと礼拝に出席したのは六月十二日でした。教会学校にも通っていないし聖書も読んでいないしで、戸惑うことも多くありました。でも日曜日に来てみると、その時の自分にぴったりの言葉が説教や祈りの中に必ず現れ、次第に私は怖れつつも教会に来てしまうようになりました。クリスマスには聖歌隊にも加えていただきました。今まであまり接することがなかった、様々な年齢層、様々な生き方に出会うことにより、あらゆるものに注がれた神様の恵みを感じました。そして、まだ早いかという迷いもありましたが、まず赤ン坊キリスト者として生まれたいと思い、このイースターに受洗する決心をしました。

この十ヶ月を振り返ってみると、私は自分から教会に来たのではなく、神様の恵みによって導かれたのだとしみじみ思います。ある本に「生涯を通じて、神は、離反しようとしてもできるものではなく、反抗しようとしてみてもその行為に意味もなく、悪を行おうとしてもその悪そのものが、神の光の影として認識されてしまう。その思いが、すべての報酬の中で最大のものである。」とありました。私の生活の中にも、神様の光をなしにしては生きられないと思います。

私はイエス・キリストの十字架による贖いと救いとを信じます。神様に感謝しつつ、神様のほうを向く者として教会の交わりに加えていただいて、信仰生活を送りたいと願っています。

(20代・女性)

信仰告白

 私が洗礼を受ける事を決心した理由は、一つは母の薦めです。中学3年生の終わり頃から言われていました。最初は「まだ無理」と、はっきりとした理由もないまま逃げていました。しかし、高校にあがり、もうすぐ2年生という頃から言われる度に「このままでいいのか」、「いつまでも習慣でいいのか」と考え始めました。でも受洗する決心はできず、ずるずると高校3年生になりました。そんなとき、宮島先生に「洗礼を受ける気はありませんか」と声をかけられ、心にケリがつき、「習慣」という今までの行動・思考に終止符を打とうと思いました。

 また、高校2年生の世界史の授業中に自分の気持ちを知ったからです。キリスト教についての単元をやっていた際に、先生に「まぁ、復活なんてあり得ないんですけどね」と言われたことがありました。そのとき、私はとても傷つきました。「今まで習慣だったのに・・・」と思い、自分が思っている以上に聖書の言葉をしっかり聞き、信じているんだ、と実感しました。
 洗礼を受けた後は、高校を卒業したら奉仕者としてやる事もあると思うので、幼い子どもたちにも、中高生にも少しでも興味をもってもらえるように教えてあげたいと思っています。
 私は父なる神様、イエス・キリスト、聖霊を信じます。

(10代・女性)

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日本基督教団 原町田教会 : 当教会では、日本聖書協会発行『新共同訳聖書』、日本基督教団出版局発行『讃美歌21』を使用しています。